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科学の歴史②

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今回は科学の歴史その2。前回の動画では、科学とはなにか、そして科学がいかにして発展を始めたのかをご説明しました。

前回のおさらいです。

5万年前、現生人類のみが獲得したスキル、認知革命によって虚構(フィクション)を生み出し共有することで団結し、気候変動や外敵からの脅威を克服し絶滅を免れたわれわれの祖先。

十数万年前、われわれの祖先は、なんとわずか数百人にまで激減し、まさに絶滅危惧種であったことが遺伝人類学者のDNA解析によって明らかになっているのです。

絶滅の危機を認知革命によって団結し生き延びた人類が、次に獲得したのが農耕と牧畜でありました。それまで狩猟採集という自然のなすがままだった生活を送っていた人類が環境をコントロールしようとし始めた瞬間であり、これは新石器革命、または農耕革命と呼ばれています。認知革命につぐ人類第二の革命でありました。作物や家畜を効率よく成長、繁殖させるための体系的知識は、自然科学が始まった瞬間でもあります。

農耕と牧畜の生活は、狩猟採集生活に比べ効率の悪い生活スタイルでした。しかし農業に必須であった定住生活は、集落を形成、やがて村や町、都市までをも形成し、これが四大文明の誕生にもつながったのです。

科学というのは、体系化された知識の総称です。知識を保存、共有しなければ科学の発展はあり得ません。その日暮らしの狩猟採集生活に決別しない限り、人類が今日の科学技術を享受することは出来なかったことでしょう。集落や都市によって集団生活を送ることが、科学の発展に寄与したことは疑う余地はありません。

最古の文明と言われるメソポタミア文明においては、紀元前4千年ころ都市化が始まりました。農耕と牧畜により生まれた食糧の余剰は、出生率と死亡率を劇的に改善し、町が都市となり、都市はさらに拡大しました。都市化は分業を可能とし、さらには知識階級を生み出します。

都市化によって人々を管理する必要にせまられたことで、中央集権的な支配機関が生まれました。この支配者層というのは頭脳労働を主とする役人であり、役人には都市の維持管理に必須な読み書き計算が求められました。

読み書き、つまり文字は知識を保存し共有することに必要な文化であります。距離的、時間的に遠く離れた人々に、知識が伝播することを可能にしました。現代においてインターネットが世界を変えたように、文字もまた、当時における情報の革新的進歩でありました。

さて、このように集団生活から都市化へ向かい、法を整備した人類は次なるステージへ向かいます。人々は次のように考えました。それは、法や規則が人間を支配しているように、自然界もまたなんらかの規則に従って振る舞っているのではないか。自然を支配する「法則性」を理解することでこの世界を知ることができるのではないか。神の意思に近づけるのではないか。

真理の追求をするにあたって、この法則性という概念を編み出したことが人類をさらなる知の高みへおしあげました。その舞台となるのが、古代ギリシャです。人類は事象の表層に隠された法則性や本質を探究する段階に入ります。われわれ現代人が学問とみなす多くの体系的知識が、この古代ギリシャで花開きます。

知識の獲得法

紀元前334年、マケドニアの若き王、アレクサンドロスは若干22才にして兵士たちを引き連れ、メソポタミアへ進軍しました。ギリシアからインドに至るまでの広大な地域を支配し、異文化をまとめあげるための独創的な支配体制を築いたアレクサンドロスは、人類史上もっとも成功した軍事指導者と評されています。このアレクサンドロスが16歳になるまで、彼の教育を任されていたのが、古代ギリシャの哲学者であり、万学の祖、アリストテレスです。

古代ギリシャの自然観

現代に生きるわれわれにとって、自然には秩序や構造があるという考え方は、熱心な創造論者でないかぎり、もはや常識といえます。植物が光合成をおこない成長することを信じているわれわれは、神の信者ではなく科学の信者であることの証拠ですよね。しかし古代ギリシャ初期の時代、彼らの自然に対する認識はメソポタミアの人々とさほど変わらないものでした。自然を支配しているのは神であり、そこに物理法則などという秩序が存在することは彼らにとって理解しがたいものでありました。

しかし、紀元前6世紀、自然に対する革新的な思想集団が2つ生まれます。ひとつはアリストテレスより数百年前の時代、インドのブッダ、中国の孔子が新たな思考を切り開いていたのと同じころ、古代ギリシャにおける最初期の哲学者タレスに代表される思想家たち。2つ目はタレスに続く世代であり、自然の振る舞いを数学によって説明することができるとしたピタゴラス率いる思想集団です。

それまで何千年もの長きにわたり受けつがれてきた、宗教的、神話的な自然の解釈に疑問を抱いたタレスは、哲学と科学の両方を生み出すきっかけとなった人物です。つまり、自然の様々な営みの裏に潜む本質や原因を、神ではなく、論理に求めたのです。タレスが偉大である所以は、それまでの神話的世界観に決別したことにあります。この姿勢をアリストテレスは高く評価しました。しかし数学こそが世界の真理とするピタゴラスの思想には、あまり関心を示しませんでした。いったいなぜでしょうか。

タレスが自然の摂理を紐解く手段を神に求めなかったことは科学史において天地がひっくり返るほどのイノベーションでありました。しかし現代においては「物理学の言語」と評される数学の深淵さについては、ピタゴラス以降、実に2千年ものあいだ軽視され続けることとなります。これにはアリストテレスの探求の姿勢が大きく関わっているのです。

自然は秩序立った法則に従うとしたタレス。ピタゴラスはさらに歩をすすめ、自然は数学的法則に従うと断言しました。宇宙の根本的真理は数学的法則に他ならないと説いたのです。タレスもピタゴラスも後の科学者たちに大きな影響を与えましたが、それよりも飛び抜けて大きな影響を与えたのが、アリストテレスでした。

結論から言うと、アリストテレスの自然に対する探究の姿勢というのは、現代の科学とは大きく違っていました。石を放り投げると放物線を描き、やがて落下します。現代では、軌道や速度を数学によって計算できたりするわけですが、アリストテレスはそのようなものの見方をしませんでした。彼にとって数学的法則による物体の運動の説明などよりも、「石を投げると必ず地上に落下するが、このような振る舞いを石に仕向けているのはいったいなんなのか?」というものでした。

なぜ雨は降るのか。なぜ植物は成長するのか。なぜ卵はニワトリになるのか。このような万物の振る舞いを決定づける「目的」を探すこと、つまりあらゆる現象の根本的な理由を明らかにすることが、アリストテレスのテーマでありました。背後に潜む数学的法則性や物理法則を明らかにしようとする現代の科学とはかけ離れています。アリストテレスは、現象や物体に運命とでもいうべき目的が備わっているかのように、現象を観察していたのです。現代の科学とは相容れない視点ではありますが、古代ギリシャの時代、科学に必要な客観的事実の観測を実践することは不可能でありました。ストップウォッチや時計があるわけでもなく、時速何キロメートルなどの単位の概念もありません。それでもアリストテレスが万学の祖と言われる所以は、さまざまな知的探究を自然科学や倫理学などの独立した学問に分類し体系化したことにあります。アリストテレスが手がけた分野は、現代の基礎科学を網羅するほど幅広く、現代の科学とは相容れなかったとしても、広く深く、誰よりも知の探求をおこなった偉大な人物であったことは紛れもない事実です。

アリストテレス以降、古代ギリシャの知の遺産はアレクサンドロスが築いたヘレニズム文化を経てイスラム文化圏に継承されます。7世紀、バグダッドに設立された知恵の館。ここでは古代の文献の膨大な翻訳作業が国家事業として行われ、初期のイスラム文化の発展に多大な貢献をしました。そして13世期、ラテン語に翻訳されたアリストテレス哲学を含む古代ギリシャ文化は、彼の死後実に1500年を経てルネサンス期の西ヨーロッパに逆輸入され、再び光があてられたのです。

アリストテレスの思想とキリスト教の教義が結びついたのはこの13世期であり、もともと存在していたスコラ学と結びつきました。スコラ学というのは、キリスト教の教義をギリシャ哲学を用いて根拠立てることを目的とした学問で、いわばカトリック教会の権威を正当化するための学問です。アリストテレスの学説は、ギリシャ哲学の中でも大きなウェイトでキリスト教の教義を理論的に説明するための根拠として用いられ、スコラ学と融合したのです。中世ヨーロッパにおける教育というのは、すべてカトリック教会及び修道院に付属する学校にて行われ、スコラ学は中世ヨーロッパにおける思想の主流となったのです。

こうしてアリストテレスが残した知識は、カトリック教会公認の哲学として約2千年ものあいだ、人々の常識を支配し続けました。約2千年のあいだ、自然を学ぶこととはアリストテレスを学ぶことであり、カトリック教会の庇護のもと科学の発展を著しく停滞させました。カトリック教会の強い影響力の中で、教会や修道院で行われる学問は宗教的問題にのみ絞り込まれたのです。この世界は神が作った。人も神が作った。こんな世界観の中で科学が発達するはずもありません。

これは医学の歴史におけるガレノス医学とまったく同じ状況ですよね。以前発信した医学の歴史その1からご確認ください。リンクは詳細欄からお願いします。

さてアリストテレスは多くの分野で成果を残したことからわかるように、彼はあくまで真理の探究者でした。それは彼自身の言葉に込められています。

「私の理論は、始めのステップにすぎない。それを理解して貰えるなら、私が他の人たちに後を託したことを許してもらえるだろう。」

アリストテレスは自らの理論が完璧ではないことを自覚していたんですね。実際彼の著作には多くの誤りがあることが知られています。しかしキリスト教と結びついたことで宗教的権威のもと、盲目的に崇拝されてしまったのです。これは彼の知的探究における姿勢とは相入れないものだったことでしょう。自らの成果が盲信され、科学を2千年も停滞させてしまったことを知ったら、彼はどんな顔をするのでしょうか。

古代ギリシャで実践されたこれらの真理の探究は、後世に大きな影響を与えました。これら分類された学問はカトリック教会による権威主義的な知識の体系化が崩壊した後、独立した学問として自律したことで近代への科学発展に繋がることとなります。彼の知的探究は、古代ギリシャにおいて科学を大きく前進させましたが、中世においては盲信的学者たちによって、無批判に支持されたことがかえって科学発展を停滞させたことは、なんとも皮肉なことであります。

このように、キリスト教圏において断絶していた科学の探究。しかし古代ギリシャの哲学はイスラム文化圏へと受け継がれていました。イスラム科学、またはアラビア科学と呼ばれ、この時代、世界の科学をリードしていたのはイスラム文化圏でありました。しかしこのイスラム世界の科学も宗教的権威のもと自然の探求への動機は軽んじられました。モンゴル帝国や十字軍などの外圧により研究資金は戦争や衣食住に振り分けられてしまったのです。

まとめです。

古代ギリシャで生まれた画期的な知の遺産は、キリスト教の台頭とともに教義に組み込まれ、盲信的に崇拝され科学発展停滞の時代を迎えます。しかし8世紀ころイスラム世界に受け継がれていた知の遺産は、イスラム世界で発展を続けていました。ところが13世紀には再び西ヨーロッパへ古代ギリシャの知の遺産は逆輸入されたのです。

しかしながら、ヨーロッパに知の遺産が逆輸入されたとは言っても、それがただちに科学の発展を招いたわけではないのです。認知革命、農耕革命に続く人類第三の革命、科学革命が起きるのは17世紀です。中世、未だ宗教的権威のもとで生きていた人類。現代では神ではなく科学が広く信仰されていますが、その大きな転換点たる科学革命は、どのように起こったのか。

人類の常識を塗り替える人類の転換点、それが「ルネサンス」なのです。

ということで今回はここまで。

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それではまた。