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医学の歴史【2】医学のルネサンス

こんにちは教養レディオです。歴史を知り、自分を知る。スキマ時間に聞き流し願います。

今回は医学の歴史その2となります。前回は医学の始まりからヒポクラテスが生んだ科学性、そしてガレノス医学が宗教と結びつき医学の科学的発展が凍りついた、というところまでご説明しました。

次なる舞台は、医学発展の停滞を招いたガレノス医学と宗教の結びつきから、千数百年も経った、西暦1543年。この1543年は非常に重要です。世界を変えた2冊の本が発売された年だからです。その2冊とはいったいなにか。早速いきましょう!

1543年の革命

医学の歴史において、1543年の出来事はまさに革命でした。人々が千年以上ものあいだ信じ続けてきた常識が根底から覆った年だからです。なんとわが日本においても種子島にポルトガル人から鉄砲が伝来した年であり、さらに徳川家康が産まれた年でもあります。この1543年はまさにイノベーションの年。こんなホットな出来事が同じ年に起こっているなんて、驚きですよね。

さて、この1543年、科学と医学において革命の象徴となる書物が2冊、出版されました。世界を大きく変えるきっかけとなったその2冊とは一体なんなのか。それを語るにはまず、当時の西洋の時代背景を語らねばなりません。

当時、絶対的な権力を握っていたカトリック教会は腐敗し、利益主義に陥っていました。教会への寄付の見返りとして発行される免罪符、つまり天国へは金を払えば行ける、という構造が生まれていました。これに対し、信仰するのは教会ではなく聖書であるとして、腐敗したカトリック教会へ抵抗する勢力が生まれました。これがプロテスタント宗教革命と呼ばれています。教会への寄付なんかなくても、聖書さえあれば個人の信仰は可能だとする運動であり、キリスト教に対する人間中心主義、つまりヒューマニズムがもたらされた時代でした。神の意志によって人は生きている、という受動的な人間像を否定し、人は自分の意志で考え行動できるんだ、という思想が広がっていきました。この変革の時代は、ルネサンスと呼ばれています。

一般的に中世は暗黒時代と表現されており、ローマ帝国の国教、つまりお国の宗教であったキリスト教は時代の流れとともに拡大を続け、やがて絶対的権力を持つに至ります。その支配の中で古代ギリシャ・古代ローマの文化がことごとく破壊され、文化的発展が阻害された、とするのが一般的な評価であり、暗黒時代と呼ばれる理由であります。ルネサンスとは「再生・復興」を意味する言葉であり、古代ギリシャ・古代ローマの価値観を取り戻そうぜ!このビッグウェーブに乗るしかない!という時期が、ルネサンス期とされています。キリスト教や封建制度という権力から受ける束縛からの解放、人間性の自由を目指した大きな流れが、ルネサンスだったんですね。

さらにルネサンス期に発達した印刷技術により、大衆への情報伝達速度が一変したことも時代を変革した一因であると言われています。それまで手書きしかなかった時代に、印刷技術の発達はどれほど大衆への情報伝達を促進したでしょうか。書物は広く流通し、大衆の知識や識字率を向上させ、より自由な思考が促進されたことでしょう。ルネサンス以前は書物は貴重品であり、一般大衆へ普及していたわけではありませんでした。聖書は聖職者が持っていたため、教義を伝え教えるのが聖職者の仕事でした。そこには聖職者という一種のメディアとしての価値があったと思われます。しかし印刷技術が発達してからは一般大衆へも聖書が流通し、教義への様々な解釈が生まれていく原動力になりました。これは現代でいうとテレビという一方通行の情報媒体が主流であった時代から、インターネットが普及した時代への変遷と非常に似ていると思います。わたし個人の考えでは宗教改革というよりは、本質的には情報革命と呼んでも良いのではないかと感じます。

さて、このルネサンス期以前の暗黒時代と呼ばれた中世ヨーロッパでは、カトリック教会がキリスト教の教義に反する考えを異端であるとして弾圧しまくっており、科学的思考の発展が著しく阻害されていました。新しき考え方など神への冒涜だ!全ては神が与えてくださったのだ!という具合でしょうか。医学においてはガレノス医学とキリスト教の教義が結びつき、ガレノス医学は絶対的権威として神聖不可侵な存在とされ、他の医学派を徹底的に排斥していました。こんな状態では発展のしようなどあるはずもありません。まさに暗黒時代。

とはいえ医学においては13世紀を過ぎた頃から、カトリック教会において長らく禁じられていた人体解剖が、研究目的については少しづつ容認し始められたんですね。その後1482年、時の教皇シクストゥス4世は「聖職者の許可があれば死体解剖を行なってよい」という許可を出しました。え?マジで人体解剖してもいいんですか!?ということで、これにより人体解剖は解禁され、ルネサンス期にはさかんに行われるようになったんですね。

さあ、時代背景について語ったところで本題に入ります。イノベーションを巻き起こした2冊の名著、これを紹介します。

まず1冊目は天文学において革命を起こすきっかけとなった名著、ニコラス・コペルニクスが地動説を唱えた、その名も「天球の回転について」。コペルニクスはカトリック教会の司祭であったといいます。そのためか、自説を唱えたこの著作が世の中に与えるであろう影響を考え、存命中は出版を許さなかったと言われています。世間に公表されたのは彼の死の直後であったようです。その後、ガリレオ・ガリレイも天体観測の結果から地動説を支持しました。しかし地動説の完成は、のちのヨハネス・ケプラーが示すケプラーの法則、そしてアイザック・ニュートンが万有引力の法則を示すまで待たねばなりません。彼らは17世期初頭に起こった科学革命を牽引した、まさに革命者でした。ちなみに、地動説といえば、キリスト教の支配の中で勇敢な科学者ガリレオが自らの命を顧みず地動説を叫ぶ、という多くの人が持っているイメージは、事実とは全く異なる、美談として作られたストーリーであるとされています。しかし、古代以降信じられてきた常識が覆ったのは事実であり、コペルニクスは科学革命を担った一人として、評価されています。

そしてもう一冊。医学における革命家が出版した医学書であります。こちらが今回の本題です。古代から実に1000年以上信じられてきた絶対的権威、ガレノス医学に懐疑的視点を与え、あのヒポクラテス以降、医学に科学性を取り戻した偉大なる医学者、アンドレアス・ヴェサリウスが出版した「ファブリカ」という医学書であります。この医学書の何が素晴らしいか、これをアンドレアス・ヴェサリウスの人生とともにお送りいたします。

vesalius

アンドレアス・ヴェサリウス

医学のルネサンス

アンドレアス・ヴェサリウス(1514〜1564)は、当時、ローマ帝国の支配下にあった現在のベルギーの首都ブリュッセルに生まれました。彼の家系は代々、学者か、貴族や王族付きのお医者さんでありました。そんな家庭環境からか、ヴェサリウスも医学の道を進むことになります。

ヴェサリウスについて語る時、評価は2つに分かれます。ひとつは、ヴェサリウスは医学に革命をもたらした偉大な人物だ、とする評価。そしてもうひとつは、彼は死体に取り憑かれた倒錯者だ、とする評価です。なぜこんなことになってしまっているのか。これについては彼が思春期まで過ごした自宅の環境について知る必要があります。

彼が思春期まで過ごした自宅の裏に広がる森の丘には、なんと絞首台がありました。少年期のヴェサリウスは、受刑者が吊るされ、朽ち果てていく様子を何度も見たことであろうと言われています。

やがて思春期を迎えた彼は、身の回りの動物を手当たり次第に解剖する衝動にかられ、犬、猫、ネズミなど、好奇心のおもむくまま動物を切り刻んだと言われています。これが向学心を抑えられないためなのか、切り刻む衝動に駆られたからなのか。これはヴェサリウス本人にしかわかりませんが、いずれにしてもこの解剖をとおして解剖学的知識を身に付けたことは間違いありません。

そしてヴェサリウス13歳の時、故郷ベルギーのルーヴァン大学に入学します。そののち医学を専門的に学びたいという思いに駆られ、18歳でフランスのパリ大学に移りました。ここではかのガレノス医学を学んだと言われています。しかしローマ帝国とフランスが戦闘を始めたために、故郷であるベルギーに戻ります。そして最終的にはイタリアのパドヴァ大学に移り、医学を学びました。

パドヴァ大学は1222年に創立された由緒ある大学で、ヴェサリウスの時代より少しあと、ガリレオ・ガリレイが教鞭を取っていたことでも知られています。現在でも5万人を超える学生がパドヴァ大学にて学んでいます。

パドヴァ大学で行われる解剖実習講義にヴェサリウスは胸躍らせ参加したのですが、彼はその内容に失望してしまいます。教授は解剖台から離れた高い椅子にすわり、当時の絶対的権威であったガレノス医学の解剖学書を朗読するのみで、死体には指一本触れることなどなかったのです。実際に解剖をおこなうのは理髪外科医の仕事でありました。当時、外科処置は散髪や髭剃りなどの延長でしかないとみなされていた時代であり、なんと外科処置は医療とみなされていませんでした。教養のない理髪外科医に外科処置を行わせていたんですね。理髪外科医というのは文字通り、理髪師と外科医を兼ねた職業であります。今でこそ外科医といえば医療の花形ですが、当時、理髪外科医は内科医に見下されていたのです。医療において権威を持っていたのは内科医であり、「医者」とは内科医を指す言葉でありました。

そもそも当時の解剖実習講義は動物で行うのがメインであり、人間を解剖するのは非常にまれでした。これもヴェサリウスが不満を募らせた一因でありました。解剖実習講義をおこなう教授は、当時の権威であったガレノス医学を盲信し、自らの手で人体の構造を知ろうとする意欲が感じられないことにもヴェサリウスは不満を感じました。

不満を感じた彼はついに、解剖実習の際、理髪外科医からメスを拝借し、見事な解剖を示してみせました。動物を解剖しまくって技術を身につけた彼は、たちまちその腕を認められ、以後、解剖実習の助手を務めることになりました。助手として解剖に取り組めることに、いったんは満足していたヴェサリウスでしたが、実習に与えられる死体はごくわずかであり、メインはやはり動物の解剖でした。もっと人体の構造を覗き見たい!向学心旺盛なヴェサリウスは学生同士で相談し、墓場や処刑場に忍びこんで死体を盗み人体解剖をすることに決めました。ヴェサリウスの行動力ハンパないです。時には野犬の群れに襲われ、命からがら死体を背負って帰宅するという、壮絶な墓荒らしをおこないました。状態の良い死体、骨格を吟味し、この死体はいい感じに肉が焼けてて骨格標本としては最高だな。とか言いながら持ち帰ったんでしょうか。彼の人体構造への執着は恐るべきものがあります。

そうこうしながら解剖学者としてのスキルを確実に高め成長した彼は、若干23歳にしてパドヴァ大学の外科学と解剖学の教授に就任することになります。まさにエリート。そして彼が行う解剖実習は、彼みずからがメスをとる斬新なものだったといいます。彼の講義は生徒のあいだで評判で、ヴェサリウスと解剖台の周りには生徒が群がって講義に聞き入ったそうです。彼は既存の解剖書に書かれている記述よりも、自分の目で見た事実を信じました。そしてガレノスの医学書に書かれた人体構造が現実とは異なるという事実に気づきます。ガレノスの存在があまりにも絶対的であったために、後世の人々はガレノスが人体解剖にも精通していると信じ込んでいたんですが、ガレノスの時代、人体解剖は禁止されており、ガレノスは動物の解剖を通して人体構造を想像したと言われています。

ファブリカ

ヴェサリウスはガレノスの誤りに果敢に挑み、ついに1543年。来ました革命の年1543年。コペルニクスの著作と対をなすもう一つの名著、医学会の常識を根底から覆す「ファブリカ」を出版。なんとヴェサリウス若干30歳の時でありました。若いですよね。やはりヴェサリウスは半端じゃない。このファブリカはヴェサリウスの知見を集約した解剖学書であります。現代まで残るこの名著により、人類は初めて人体の真の構造をのぞき見ることができたのです。「ファブリカ」出版の以前と以後では、人体の見方はガラリと変わることになります。後に「パラダイム・シフト」と呼ばれるこの偉業は、当時の常識を根底から覆しました。

ファブリカ

さて、このファブリカについてご説明いたします。「ファブリカ」は大きさ縦42㎝、横30㎝のほぼA3サイズの巨大な解剖学書であります。ページ数約700ページ、重さは5Kgを超え、全文がラテン語で書かれています。その解剖図は人体の躍動感を感じさせるポーズで、極めて立体的、そして写実的に描かれており、筋肉、骨格、動脈、神経などに特化した解剖図もあり、実に精密かつ芸術的に描かれています。ヴェサリウス監修のもと解剖図を描いたのは当時活躍していた芸術家。さらにルネサンス期に発達した印刷技術も、ファブリカが名著となる一因でありました。それまでの解剖図は主に写本という手作業による書き写しで行われており、精細さに欠いていたんです。

ファブリカが名著たり得た要因は3つ。すなわち、当時最先端の解剖学的知見、そして芸術性、さらに印刷技術。これらが至高の融合を果たしたことが、「ファブリカ」が名著たり得た由縁なのです。医学におけるルネサンスとは、ヒポクラテスが持っていた科学性に回帰したことであり、ファブリカこそが医学におけるルネサンスの象徴だったのではないでしょうか。

ヴェサリウス以前、13世紀の観念的な静脈の図

ヴェサリウスが残した言葉で次のようなものがあります。

「人は誰でもそれぞれが自分を裁く法廷を抱えている。そこではいかなる偽の証言をすることも偽の証拠を提出することもできない」

いかがでしょうか。この言葉は自分の信念を貫き通したからこそ出てくる言葉ではないでしょうか。自分と向き合い続けた彼の偉業によって、ヒポクラテス以降、ガレノスの呪縛と宗教の権威によって千数百年ものあいだ忘れさられていた「科学性」が再び目を覚ましたのです。この出来事は医学のみならず人間の意識全体を変革する起爆剤となりました。ヴェサリウス以降、西洋医学はどんどんと発展していくこととなります。

ということで、今回はここまで。有益だと感じられましたら、ぜひチャンネル登録をお願いいたします。

それではまた!

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