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医学の歴史【3】種痘法・麻酔

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種痘法の開発

天然痘ウイルス

「天然痘」は天然痘ウイルスによって引き起こされる感染症である。非常に強い感染力をもち人類史においてしばしば大流行(多い時には数百万人単位の死亡者数)を引き起こしてきた。顔面および頭部を中心に全身に発疹が発生し致死率は20%〜50%と非常に高く、治癒したとしても発疹のあとが残る。最も古い天然痘の記録は紀元前1000年以前であり10000年前にはすでに人類の病気であったらしいと言われている。目に見えない微小なウイルス(細菌よりも小さく、人類がウイルスを発見したのは1892年のこと)による感染症というのは当時の人類にとってまさに「悪魔の所業」や「神罰」であったことだろう。

天然痘は人類の手によって初めて根絶に成功し、根絶できた唯一の感染症である。1980年、WHOの「世界根絶宣言」に到るまでにおびただしい死者を出したこの感染症を、人類史上はじめて効果的で安全に予防する「種痘法」を開発したのがエドワード・ジェンナー(1749〜1823)である。

エドワード・ジェンナー

ジェンナーの生まれた18世紀のヨーロッパでは、100年間で6千万人もの人が天然痘によって命を落としていた。当時のロンドンでは人口の3割が天然痘の傷跡を負っていた。人類史において大流行を引き起こしてきた天然痘の「強い感染力」と「高い致死率」は人々の間でよく知られており、一方で「天然痘にかかった人間はその後際感染しない」という事実も古くから知られていた。この感染症を予防するため、紀元前1000年頃には天然痘患者の膿を健康人の身体に擦り込んで軽度の感染を起こし重度の感染を予防する「アラブの種痘法」が実践されており、ジェンナーの生まれたイギリスにも18世紀初頭に導入された。しかし種痘後に重篤な天然痘にかかる人たちも多く、死亡率は1割ほどにものぼった。当時の種痘法は、あまりにもリスクが高かったのだ。

13歳のころ外科医を目指したジェンナーは、地元の診療所を営む医師のもと、修行時代を過ごす。この修行時代にジェンナーは後の種痘法開発の大きなヒントを得ることとなる。ある日、発疹を訴える農家の女性が診療所を訪れた。その発疹を見た医師は天然痘を疑ったが、農家の女性は「大丈夫、私は天然痘ではありません。私は以前、牛痘にかかったことがあるのですが、牛痘にかかった人は天然痘にはかからないんですよ」と語った。このエピソードは、後の種痘法開発に到るまで、ジェンナーの心にずっと残り続けていた。

地元の診療所での修行時代を終えたジェンナーは、21歳のときロンドンのセントジョージ病院で医学を学ぶことになった。ここでジェンナーは「実験医学の父」ジョン・ハンター(1728〜1793)と出会う。「ガレノスの呪縛」から解き放たれ「科学性」が台頭してきた18世紀において、医学者たちは「実験による再現性」を重要視し始めた。「実験医学」の始まりである。ジョン・ハンターはこの実験医学の急先鋒であり、ジェンナーの種痘法開発のみならず後世の医学者に大きな影響を与えた。二人の師弟関係は1793年、マリー・アントワネットの処刑と同日にハンターが亡くなるまで続いた。師から受け継いだ「実験精神」は、師との別れから3年後に花開くことになる。

ハンターが亡くなる前にジェンナーは、修行時代の農家の女性から聞いた言葉を思い出していた。牛痘にかかった人は天然痘にかからないのであれば、意図的に牛痘に感染させることで天然痘を予防できるのではないかと考えていた。そこで牛痘に感染した人達を探し、「アラブの種痘法」を実施。すると確かに誰も天然痘を発症しなかった。牛痘には天然痘の予防効果があることを確信したジェンナーは、1796年に歴史に残る実験を行う。ジェンナー家の使用人の息子である8歳の少年を被験者とし、少年に牛痘を接種。その後少年に天然痘を接種したが、少年は何の症状も起こさなかった。その後何度も少年に天然痘を接種し続けても、少年は天然痘に感染することはなかった。人類初のワクチンが誕生したのだ。

1798年には「牛痘の原因と効能」を自費出版。牛痘種痘法はその後ヨーロッパ中に広がり確かな成果をあげた。ジェンナーは牛痘種痘法の特許を取らなかった。特許を取ると予防接種が高額になってしまい、多くの人に恩恵が行き届かないと考えたからだ。

ジェンナーがハンターから継承した「科学性」が全人類に恩恵をもたらした。時として数百万人、数千万人の命を奪ってきた天然痘は1977年、WHOより根絶宣言が出された。

麻酔法の発見

「痛み」を取り除くことは人類の長年の夢であった。特に外科処置においては、なおのことである。古代インカではコカの葉による麻酔で穿頭手術を行い、ヨーロッパでは古代よりケシ、マンダラゲ、ヒヨスなどの植物を鎮痛に用いてきた。

全身麻酔手術を可能にしたのは19世紀なかばの事で、「吸入麻酔法」と呼ばれる方式である。エーテル、笑気、クロロホルムなどの薬品を気化し吸入することにより麻酔効果を得るものである。これは「全身麻酔法の発見」から20年後の「消毒法の発見」とあわせ、外科学の進歩に大きな役割を果たした。その後エーテルとクロロホルムは人体への有害性から麻酔に使用されることはなくなったが、笑気は現在に至っても吸入麻酔の主役である。

エーテルは1275年にスペインの錬金術師によって初めて作られた。現在でも広く使用されている笑気(亜酸化窒素)は1772年にイギリスの化学者ジョセフ・プリーストリー(1733〜1804)によって発見された。エーテルや笑気を吸うと軽い陶酔感が得られることから、19世紀のアメリカやヨーロッパでは余興や見世物などで使用されていた。吸入麻酔法は、これらの遊びから偶然発見されたと言われている。

クロフォード・ロング

歴史上、吸入麻酔法による手術は1842年、アメリカの開業医クロフォード・ロングによって初めて成功したと言われる。もともと「エーテル」を使ってエーテル遊びを行なっていたロングは、エーテル遊びで酔ってケガをした時に痛みを感じないことに気づいた。そこで彼は、患者にエーテルを嗅がせて手術してみることにした。患者は、首のできものを切除する苦痛への恐怖のため手術のキャンセルを繰り返してきた男であった。エーテルを嗅がせると患者は眠りに落ち、首からできものを切除してもぐっすりと眠り込んだままであった。こうして吸入麻酔法は誕生した。

ホレス・ウェルズ

笑気麻酔はアメリカの歯科医であったホレス・ウェルズ(1815〜1848)によって発見された。当時、巡業公演されていた「笑気ショー」(客に笑気を吸わせて、暴れたり踊ったりする様を見せる見世物)を見に行った彼は、笑気を吸って陽気に踊る客が足をぶつけてケガをしたにも関わらず痛みを感じていないことに気づいた。これを見て笑気が抜歯の麻酔に使用できるのではないかと考えた。ウェルズは自ら笑気を吸い、助手に自分の歯を1本を抜歯するよう指示した。すると眠りから覚めたウェルズは、抜歯が成功しているにも関わらず、全く痛みを感じないことに笑気麻酔の効能を確信した。そして1845年、マサチューセッツ総合病院にてウェルズによる笑気麻酔の公開実験が行われた。しかし被験者は激痛を訴えたために公開実験は失敗し、罵声を浴びて講堂を追われた。その後ウェルズは転落の人生を送ることになる。

現在の医療においては、笑気単独では人を完全に麻酔することは出来ない事がわかっている。笑気は「肺胞最小濃度(MAC値)」と呼ばれる動物の半数を不動化させるのに必要な肺胞内の吸入麻酔薬の濃度が100%を超える。これは100%笑気を吸入しても麻酔効果が不十分である事を示している。しかし笑気には鎮痛作用が強いという特徴があるため他の麻酔薬と併用し「麻酔補助薬」として使用される。

ウィリアム・モートン

社会的に広く吸入麻酔法が認められたのは1846年、アメリカのウィリアム・モートン(1822〜1868)によって初めて行われたエーテル麻酔の公開実験である。ウェルズの公開実験を見ていた彼は自分も挑戦しようと決意し、笑気ではなくエーテルに着目した。これを用いて抜歯を行うなど入念に準備を進めて行った。彼は公開実験において手術を外科医に依頼し、自らは麻酔に専念できる体制を整え、公開実験を行った。患者のあごにあったできものは無事切除され、切除後も患者は眠ったままだった。外科医が叫んだ。「諸君!これはまやかしではないぞ!」モートンは公開実験に成功し、実験成功の興奮はアメリカ全土、ヨーロッパに広まり、その後は吸入麻酔による大手術成功の報が両大陸を飛び交うことになった。吸入麻酔の登場は、世界の外科を一変させた。

全身麻酔手術については、なんと我が国の華岡青洲(1760〜1835)が自ら調合した麻酔薬によって世界で初めて成功している。彼の輝かしい功績が諸外国に知られたのは鎖国が解かれた明治時代以降の事である。しかし彼の調合した薬は副作用が多く確実性には乏しかった。

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