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医学の歴史【4】消毒法

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消毒法の発見

19世紀、全身麻酔法の発見によって外科手術の可能性は飛躍的に拡大した。しかし外科手術後の患者の予後は改善していなかった。当時はまだ「消毒」の概念がなかったためである。微生物による傷の化膿や、感染症を引き起こすウイルスなどの存在は、現代においてはもはや常識であるが、150年前の世界では想像だにしない世界であった。実際、17世紀にアントニー・レーウェンフックが微生物を発見し、これが腐敗や化膿などの現象と関連性があるのではないかと説いたが、彼の考えは時の流れの中で忘れ去られていた。

消毒法はハンガリーの医師イグナーツ・ゼンメルワイス(1818〜1865)が先駆者として知られる。1846年、ゼンメルワイスはウィーン総合病院の産科医として勤務を始めた。当時、産科病棟では産褥熱(さんじょくねつ)が猛威をふるっており、ゼンメルワイスはその原因を調べようとさまざまな書物を読みあさっていた。その原因として挙げられていたのが瘴気、精神的ショック、風土病などであった。その頃ウィーン総合病院では年間3500例の分娩を取り扱っており、妊婦が入院する病棟は、医師や医学生が分娩を取り扱う第一産科と、助産師が分娩を取り扱う第二産科の二つに分けられており、それぞれ妊婦が来院した曜日によって振り分けられていた。病院の死亡統計を検証していたゼンメルワイスは、不思議な事実に気付く。

第一産科で産褥熱で年間600〜800人が亡くなっているにも関わらず、第二産科では年間60人程度という事実であった。この違いはどこにあるのか?ゼンメルワイスはデータの分析を始めるも原因は分からなかった。そんな中、ゼンメルワイスと親しかった医学教授が敗血症で亡くなった。医学教授は病に倒れる前、産褥熱患者の病理解剖をする際、学生のメスによって腕に傷を負っていた。医学教授の解剖所見を見たゼンメルワイスは驚いた。その所見が産褥熱患者と全く同じであったからだ。

こうしてゼンメルワイスは信じがたい答えにたどり着いた。「医師や医学生は診察や病理解剖の後に死体の臭いのする手で妊婦に触れる、これが産褥熱を広げる原因である」「妊婦を殺していたのは医者の手であった」ということである。

1847年、「医者が死体臭のする手で妊婦を診察することが産褥熱を広める原因である」と確信したゼンメルワイスは、脱臭作用のある塩素水で手を洗うことを第一産科で実施した。当初、まわりの医師たちはゼンメルワイスの考えに否定的であったが、手洗いを続けることにより第一産科の産褥熱発症率は激減、死亡率は第二産科と差がなくなった。この事実がやがてウィーン大学内での彼の支持者を増やしていく事となる。しかし学会発表や論文作成が苦手だった彼は、自らの発見を発信することに積極的でなかった。このため、彼の主張に否定的な教授により大学を追放されてしまう。

1855年、故郷に戻ったゼンメルワイスはようやく論文執筆を始める。ヨーロッパ中の産科医に手洗いの必要性を啓蒙するとともに、1860年には著書「産褥熱の原因、概念および予防」を発表。外科医に対しても手や医療器具の洗浄を進めた。しかし彼の説が広く受け入れられることはなかった。なぜならそのことが医者にとって「今まで多くの患者を殺してきたのは医者自身の手」であることを認めることに他ならないからであった。大多数の医者はゼンメルワイスの主張を黙殺し、ゼンメルワイスは失意のまま認知症を患い、47歳の若さで亡くなった。

消毒法の確立

前述のとおりゼンメルワイスが消毒法を発見したものの、その社会的な認知は低いものであった。ゼンメルワイスの主張は、当時の医学会では「非科学的」と見なされており、未だ「空気中の瘴気によって傷口の化膿が起こる」というような学説が主流であった。そんな中、消毒法を社会的に広く認知させたのがイギリスの外科医ジョゼフ・リスター(1827〜1912)である。彼は1865年、フランスの細菌学者ルイ・パスツールの論文を見て、ワインが腐敗するのは微生物の働きによることを知り、傷の化膿も微生物の働きによる腐敗現象であるのだから、微生物を殺す薬で傷口を覆えば良いのではないか、との考えに至る。

当時「開放骨折」した患者のほとんどは敗血症(感染を基盤とする全身性炎症反応症候群)で亡くなっていた。彼は予後の極めて悪かった開放骨折に自身の消毒法を用いた。都市から出る汚水やゴミの消臭剤として用いられていたフェノールに浸した布で患部を覆ったのだ。結果、傷口は感染を起こすことなく完治し、その後も10例の解放骨折に同様の方法を用い、8例に成功をおさめた。そして1867年にこの成果を論文発表した。しかし彼の発見は当初、イギリス国内ではあまり受け入れられなかった。

リスターは世間からの批判に苛立つことなく、臨床実験の成果を追加報告し続けることで自らの正当性を証明していった。彼はフェノールの噴霧が全ての外科処置に有効であることを証明し、手や手術器具、術野へフェノール噴霧しながら外科手術を行う「リスター法」を考案。これはその後リスターの代名詞となりヨーロッパ諸国に広がっていった。19世紀末はフランスのルイ・パスツール(1822〜1895)、ドイツのロベルト・コッホ(1843〜1910)によって「細菌学」が新興していた。リスターの主張は、細菌学者らによって理論的裏付けがなされ、より信頼のおけるものとなっていった。

フェノール:和名は石炭酸。19世紀にドイツの科学者が発見し、消臭効果が認められることから消臭剤として利用された。消毒法初期の消毒薬。現在は工業用途、薬品や染料などに利用されている。感染症は空気感染ではなく大半が接触感染であることが明らかになった19世紀後半からは、術野へのフェノール噴霧は中止され、現在の無菌操作とほぼ同じものになった。

1883年、彼はヴィクトリア女王からナイトの爵位をさずかった。リスターの人生は、ゼンメルワイスとは対照的に輝かしい栄光と賞賛に満ちていた。リスターにより確立された消毒法によって、外科手術は「危険な賭け」から「安全で十分な根拠をもつ科学」に変わったのである。

現在、口腔消毒薬として市販されている「リステリン」は、ジョゼフ・リスターの名が元になっている。リステリンはリスターの手法を元に、安全性と保存性に優れた消毒薬としてアメリカで開発された。開発者はリスターに敬意を示しリステリンと命名、外科手術に使用された。改良を重ねマウスウォッシュとして利用されるのは1914年のことである。

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