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科学の歴史③

今回は科学の歴史その3。イスラム世界からヨーロッパに帰ってきた科学のバトン。

ルネサンスが生んだ天才ガリレオ

さて、13世期にヨーロッパに帰ってきた科学のバトンは、いかにして科学革命を迎えたのか。科学のバトンが帰ってきただけでは、ヨーロッパが科学の最先端にはなりえません。科学が発展するためには、次の2点が大きなポイントになります。それがルネサンス、活版印刷です。ルネサンスと活版印刷は、科学革命を牽引した重要人物、ガリレオ・ガリレイを生む土台を形成し、科学のみならず宗教、政治、大衆の思想に大きな影響を与えました。紀元前、ピタゴラスによって提唱された数学の重要性は、1500年を経てガリレオによって光があてられたのです。科学革命には人々の価値観の変革が必要不可欠だったことが歴史を知れば見えてきます。それではいきましょう!

ルネサンス

ルネサンスとは、14世紀のイタリアで始まり西ヨーロッパに広がっていった文芸復興運動の総称であります。キリスト教的価値観が広がる以前の古代ギリシャ、古代ローマの価値観に回帰しようとする文化運動です。カトリック教会が啓蒙する思想や価値観。それは神中心の世界観を人々に抱かせ、大衆の思想はカトリック教会の支配下にありました。これに対し、教会の影響力が衰退するに伴って求められたのが「人間らしさ」でした。神が全てを決めてくださってるとかおかしくねーか?人間は自分自身で考えて行動できるだろ。なんで正しいこととか悪いこととか教会が全部決めてんだよ。じゃあそもそもキリスト教ができる前の人間たちはどんな生活をしてどんな考え方してたんだ?古代ギリシャと古代ローマの文献チェックしてみようぜ。ザックリ言うとこういう動きが人々に生まれたんですね。教会が啓蒙する価値観に背を向けたヒューマニストたちが求めたのが、紀元前の古代の文献だったのです。キリスト教によって失われた、古代に生きた人々の価値観の探究。それがルネサンスなんです。さてここで一つの疑問が生まれます。なぜ教会の権威は衰退し、ルネサンスの気風がうまれたのか。なんとこの流れを作ったのは、奇しくもカトリック教会自身だったのです。

カトリック教会の権威の衰退

西暦392年、ローマ帝国がキリスト教を国教と定めてから実に1000年もの長きにわたり、人々の価値観や思想を決定づけたのはカトリック教会でした。しかしその権威にも陰りが見え始めます。この教会の衰退とルネサンスはほぼ同時進行で起こりました。その大きな要因となるのは、十字軍です。信仰という大義のもと、聖地エルサレムを奪還するべく組織された十字軍の遠征は1095年に始まりました。民間人をも巻き込んで、虐殺、略奪の限りを尽くした十字軍。カトリック教会が、聖戦と崇められた十字軍の虐殺を公式に認めたのは、なんと2001年のこと。十字軍発足から1000年後のことだったんです。それほどまでに虐殺や略奪というものが大義名分の元正当化されていたことがわかりますね。さて、この十字軍がカトリック教会の衰退とルネサンスの始まりにどのように関わったのか。

まず十字軍遠征に伴う進軍や補給のため、東方との流通が発達したこと。そして遠征において他国の文化に十字軍の兵士自身が触れたこと。古代に培われたギリシャ、ヘレニズム文化はイスラムに受け継がれていましたが、その知識がここで西ヨーロッパに持ち込まれ、ルネサンスに至るきっかけとなりました。さらにヨーロッパと東方の貿易中継地として栄えたのがイタリアでした。古典文化復興の後押しをしたパトロンは、ここで巨万の富を得ていたのです。

さらに十字軍遠征により東ローマ帝国が滅亡したことで、東ローマ帝国に住んでいたギリシャ人の知識人がイタリアに流入したことが決定的でした。当時隆盛を誇っていたイタリア、フィレンツェのメディチ家を筆頭に、知識人にはパトロンがバックについて古典文化の復興を後押ししたのです。

十字軍遠征はルネサンスを生むきっかけとなりましたが、同時にカトリック教会の権威の衰退も生みました。度重なる十字軍遠征の失敗は、教皇の権威を揺るがし、これが教会の権威の衰退に繋がったのです。

さらにルネサンス期、活版印刷技術が確立されたことで、それまで高価で民衆が手にすることが出来なかった書物が爆発的に流通することとなります。それまでは主に写本、手作業による書き写しのみでしか複製できなかった書物は、手がかかるため高価で部数も限られていたため、一般大衆が手にすることはできませんでした。活版印刷技術による書物の普及は、民衆の知識を向上させ、ルネサンスにおける文芸復興や宗教改革を強力に後押ししました。支配階級が独占していた知識が、民衆にも広がったのです。まさに情報革命ともいえる革新的な出来事でした。これは現代におけるインターネットの登場に例えても差し支えないのではないでしょうか。それまでテレビ新聞、雑誌などのように限られた層が一方的に流してきた情報は、インターネットの登場によって激変しましたよね。多様な情報と相互の情報交換は、人々の思想や行動に大きな影響を与えました。このように、カトリック教会のもとで制限されてきた思想や学問は、印刷技術の革新によって多くの人々に道を拓いたのです。古代ギリシャ以降、宗教と科学が再び切り分けられ、科学探究への下地が形成されました。

近代科学の誕生

コペルニクスが地動説を主張する学術書の出版から20年後、ルネサンスも終わりに近づいた1564年にガリレオは生まれました。ガリレオと聞いて多くの人がイメージするのは、ピサの斜塔での実験、地動説にかかわるカトリック教会からの弾圧などがあるでしょう。しかしガリレオの真の功績は、これらの有名なエピソードからは十分に読み取れません。彼の真の功績は、科学を追求するための姿勢を確立したことにあります。この姿勢は主に2つ。ひとつは実験を重視すること、ふたつめは科学の共通言語たる数学を重視したことです。

ガリレオから遡ること2000年前、アリストテレス哲学は、観察と理論から構築されていました。誰よりも観察を重視したアリストテレスでしたが、提唱した理論を検証するための実験というプロセスが欠けていたのです。アリストテレスの学説を乱暴に表現すると、証明されていない作り話と言ってしまっても差し支えないものでした。これに対し実験と数学というものは、主観を排除し客観的に現象や理論を他者と共有できる手段であり、この客観性に基づいた姿勢こそが、現代での科学の定義なのです。ガリレオの真の功績は、2000年も盲信され科学を停滞させてきたアリストテレス哲学と決別し、科学探究の姿勢を確立したことにあるのです。

ガリレオを作ったもの

ガリレオが生まれる20年前、コペルニクスが地動説を主張した学術書が出版されました。古代ギリシャのアリストテレスの時代から、地球が宇宙の中心であると信じられてきましたが、これに対しコペルニクスの地動説はそれまでの常識を覆す出来事として、コペルニクス的転回と言われています。この言葉は人々の常識がひっくり返ったことを端的に表現しています。しかし地動説と同じような説が古代ギリシャの時代にすでに提唱されていました。古代ギリシャの数学者であり天文学者であるアリスタルコスが提唱した太陽中心説です。これは人類史上はじめての地動説でしたが、この学説が普及するには至りませんでした。その後2世紀頃登場するプトレマイオスによって体系化された天動説がキリスト教神学と結びつき、以後ルネサンス後期までの約1500年もの間、天動説が主流であり続けてきたのです。このように1500年もの間信じられてきた天動説。これを覆したのは、やはりルネサンスでした。大学時代のコペルニクスは、プトレマイオスの天動説に懐疑的姿勢を持つ学者の講義を受け天文学への興味を抱いたとされています。その後アリスタルコスの太陽中心説にも触れたコペルニクスは、自身で天体観測を行い、観測事実を積み上げることで、地動説に再び光を当てたのです。ルネサンスにおける気風と古代ギリシャの知の遺産へのリスペクトが、コペルニクスを天体観測へと駆り立てたのです。ガリレオもまた、コペルニクスの成果を吸収し、自ら天体観測を行うことで地動説に観測事実による裏付けを与えました。

古代ギリシャにおける功績として、ピタゴラス音律というものがあります。数学を信仰するピタゴラスは、音の高さ、つまり音律を数学的に説明した人類史上はじめての人物だったのです。太古から歌や音楽は人類に嗜まれてきましたが、数学に基づいた音の高さの基準を作り出し、他者と共有できるようにしたのがピタゴラス音律なのです。あまり知られていませんが、ガリレオの父、ヴンチェンツォ・ガリレイは、歴史に名を残した音楽理論家であり優れたリュート奏者でありました。ルネサンスの潮流の中でヴィンチェンツォもまた古代ギリシャの文化に触れていました。音響学において数学的な手法を重視し、またリベラルな思想の持ち主だったヴィンチェンツォの姿勢は、ガリレオに大きな影響を与えたと言われています。

ガリレオは権威的な学説や、多数派の主張に盲目的に従うのではなく、実験によって起こる現象を自分自身の目で捉えるという姿勢を重視しました。敬虔なカトリック信者であったガリレオでしたが、信仰と科学は分けて考えるべきとする姿勢のもと科学を探求しました。このガリレオの姿勢を形成したのは、ルネサンス期、古代ギリシャの知の遺産を受け継いだ人々の知的探求であることがお分りいただけたでしょうか。ガリレオはゼロから全てを生み出したわけではないのです。古代の文献を参照したコペルニクスと父ヴィンチェンツォ 。ガリレオはこれらの影響を大きく受けているのです。古代の自由な知的探求の姿勢をリスペクトするルネサンスの気風がガリレオを産んだとも言えるのです。そして同時に、科学が先人から継承され続けることで進化していくことも物語っています。古代ギリシャのアリスタルコスからコペルニクスへ受け継がれた地動説は、ガリレオ、ケプラー、ニュートンとその成果を継承しアリスタルコスの時代から実に2000年の時を経て、人類に受け入れられたのでした。

 

 

 

1095 聖地エルサレム奪還を目指し十字軍遠征開始。1453東ローマ帝国滅亡、ギリシャ人の知識人がイタリアへ亡命。古代ギリシャの知識がイタリアへ流入。1455 活版印刷による聖書の出版開始。1492 十字軍遠征終了。1503 レオナルドダヴィンチがモナリザの制作開始。1515 教皇レオ10世が免罪符を販売開始。1517 マルティンルターが免罪符の販売に抗議。1543 コペルニクス「天球の回転について」出版。1609 ガリレオガリレイが天体観測の結果、地動説を支持。