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科学の歴史⑤

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さて、ニュートンによって新世界へ到達した人類。ニュートンの晩年にはアリストテレスやプトレマイオスなどの盲信は薄れ、そればかりか宗教や君主の権威に反対することを重んじる時代に入りつつありました。この時代の変化を物語るのは、ガリレオとニュートンの葬儀の違いです。ガリレオは慎ましい密葬しか認められませんでした。それに対してニュートンの遺体は寺院に安置され、巨大な記念碑が建てられ、墓碑には彼の業績とそれを讃える言葉が彫られています。ガリレオからニュートンに続く数十年の間に、人々の科学に対する評価というものが移り変わって行ったことを物語っています。そしてのちに科学革命と評された一連の業績は、科学のあり方も一変させました。ニュートンは生前、自然哲学者を自任していました。このことから伺えるのは、自然哲学者というものが何でも屋であったということです。ニュートンやガリレオが数学者であり物理学者であり天文学者である、というのは現代に生きるわれわれのカテゴライズに過ぎず、科学革命以前の科学者というものはみな自然哲学者であったのです。数学と実験を重視した科学革命以降、自然哲学と一括りにされていた学問が細分化し、より専門的になっていきました。生物学、医学、数学、天文学、物理学・・・このようにカテゴライズされた各分野は、より深く探求されていくこととなるのです。それと同時に数学と実験を重視した実証主義のもと、西ヨーロッパは科学界の頂点に飛躍したのです。

現代のパラダイムシフト、量子論

さて、ニュートン力学が物体の運動を正確に予想できることは、それまでのアリストテレス的世界観を覆す革命でありました。力、加速、慣性、運動量。人々の精神を表す言葉としても使用されるこれらの概念は、現代に生きるわれわれにも馴染み深いものです。しかし科学革命以前の人々にとってのニュートン力学は、きっと衝撃的で非常識な概念であったことでしょう。それは当時の人々が、それまで慣れ親しんできた価値観、つまりキリスト教的世界観とは全く別の世界観が示されたからですが、このパラダイムシフトは現代においても起こっています。そうです、科学はまさに発展途上、現在進行形で探求は進められているのです。今回紹介するのは、19世紀から始まり現代においても研究が進められている、量子の世界です。

量子とは、粒子と波動の性質を併せ持つ超ミクロな構成単位であり、例えば物質を形作る原子そのものや、その原子を構成する電子、陽子、中性子などが挙げられます。さらには光を粒子としてみなす時の光子、ニュートリノ、クオークなどの素粒子も量子に含まれます。量子の世界は、10億分の1メートル以下の極小の世界です。量子の代表格である原子の大きさをイメージするには次のような例えがわかりやすいでしょう。ピンポン玉ほどの大きさの物にどれだけの原子が詰まっているのか?それは地球をピンポン玉で埋め尽くしたと想像すればわかりやすいでしょう。原子とピンポン玉の大きさの比率は、ピンポン玉と地球の比率とほぼ同じなのだそうです。手のひらサイズの物質に、途方もない数の原子が含まれていることがわかりますよね。そしてこの量子の世界では、われわれが慣れ親しんでいるニュートン力学が全く通用しないのです。この極小の世界を扱う学問は量子論と呼ばれる理論にもと付いて研究が進められています。量子論は現代物理学の最先端の分野なのです。ニュートン力学に精神を支配されているわれわれにとって、量子の世界は受け入れがたい事実に満ちています。われわれが量子論に触れる時、それは科学革命以前の人々がニュートン力学に触れた時と同じ驚きがあるのではないでしょうか。それでは量子の世界に触れるために、量子のひとつである光を例にとって解説していきます。それではいきましょう!

光。誰しもが馴染みある言葉であり、ありふれた現象ではありますが、光とは一体なんなのでしょうか。この問いから量子論は生まれたのです。光はありふれた現象ではありますが、光という現象を説明しようとしても簡単ではありませんよね。さて、現代の科学は光をどのように認識しているのでしょうか。

まず光とは電磁波の一種であり、さらに秒速30万キロメートルという超スピードで進むということなどが明らかになっています。秒速30万キロメートルというと、1秒間で地球の表面を7周半できる速さです。物凄い速さですよね。そしてさらに興味深い光の性質。それは、粒子性と波動性を併せ持つ、という特徴です。これは一体どういうことなのでしょうか。

古代から光は粒子なのか、波動なのか、つまり粒子説と波動説の対立がありました。紀元前、古代ギリシャのデモクリトスは、光も原子でできていると考えました。粒子説の元祖と言えましょう。その後、光についての科学的な研究が始まったのは17世紀。まさに科学革命まっただ中の時代です。運動の基本法則や万有引力の法則を発見し、近代科学の基礎を築いたアイザックニュートンは、光についても研究を行なっていました。太陽の光をプリズムに通すと、無色透明な光が七色に分解されることを発見したのです。このことからニュートンは、光というものは様々な色を持った小さな粒が集まっているものだと考えたようです。このように光を粒子として考えることを光の粒子説と言います。物体に光をあてると、その背後に輪郭がはっきりとした影ができることは光が粒子であることを物語っています。もし光が波動であれば、波が物体の後ろに回り込んでしまい、影ができなかったり影の輪郭がぼやけたりしてしまいますよね。水面に棒を立てて波を起こすと、棒の背後にも波が回り込むことは感覚的にもお分りいただけると思います。この説明で光は粒子であることに間違いなさそうですよね。しかしこれに対し、光の波動説を唱えたのが、ニュートンと同じ時代に生きたクリスチャン・ホイヘンスでした。彼の主張はこうです。二つの細い光線を直角にぶつけます。すると光は互いに干渉せずそれぞれそのまま直進する。光が粒ならば、直角に交差した光は互いの粒子が衝突し軌道が変わるはずではないか。しかし実際には互いに干渉せず直進する。これは光が波動であることの紛れもない証拠ではないか!こう主張したんですね。じゃあちょっと待って、さっきの影の説明と矛盾するんじゃないか?という疑問が湧いてきますが、光の波動は小さな波なので、物体の裏側に回り込むことはない、と説明するのが光の波動説派の主張なんですね。実際、水面で物体に対してごく小さな波をぶつけても、波が物体の背後に回り込まないことは実験で確かめられているんです。このように光の粒子説と波動説は、お互い一歩も譲らず、17世紀以降、ずっと論争が続けられてきたんです。

17世紀当時は、古典力学を確立したニュートンの権威のもと、粒子説の方が優勢でありました。しかし時は流れ19世紀、トーマス・ヤングが示した実験結果によって、波動説が一気に形成を逆転します。ヤングの実験では、光が二つのスリットを通過したのち干渉縞と呼ばれる波動の証拠が観察できることが明らかになったのです。これは、光を粒子と仮定した場合、説明のできない現象でありました。その後も各種の実験の結果から、光の波動説がほぼ定着することとなります。さらにさらに、19世紀半ばジェームズ・クラーク・マクスウェルが導き出した方程式は、電磁波の速さが高速と一致することを示しました。つまり光の正体は電磁波であったということが明らかになったのです。これにより、光の波動説の優位性は決定的なものになりました。19世紀末には、光は波動であるということは物理学界で常識となっていたのです。

しかし。光を波動とみなした時、未解決の問題が2つ残されていました。一つ目は光の媒質がなんであるかということ。波というのは物質の振動が伝わる現象であります。そして振動を伝える役目を果たす物質のことを媒質と呼びます。例えば音というのは空気という媒質が振動して起こる現象です。したがって真空である空間では音は伝わりません。では光の媒質はなんなのでしょうか。星の光は宇宙空間を通ってやってくるので、宇宙空間、地球表面においても光という現象を引き起こす媒質で満たされていなければなりません。この媒質とは何なのでしょうか。それが発見されていなかったのです。二つ目は、熱した物体から放出される光の特徴を当時の物理学では説明できていないというものでした。この二つ目の疑問については後述しますが、いずれにしても、光の未解決の問題を解き明かす過程で、量子論は生まれたのです。この量子論の生みの親は、マックス・プランクというドイツの物理学者でした。

 

19世期後半、ドイツは隣国フランスとの戦争、普仏戦争に勝利し、莫大な賠償金とアルザスロレーヌ地域を獲得しました。この地域は石炭と鉄鉱石の産地として有名であり、これらを原材料として製鉄業が飛躍的に成長しました。

良質な鉄をつくるには、溶鉱炉の鉄の温度を正確に把握し制御する必要がありましたが、数千度もの高音に達する溶鉱炉内の温度を測定できる温度計は、当時存在しませんでした。作業に携わる人たちは、溶けた鉄の色でおおよその温度を把握していたのです。赤黒いので1000度くらいかな、真っ赤になったら2000度くらいかな、白い光を放てばもっと高温だな、という職人的な勘と経験によって判断していたのです。

しかしこれではあまりに大雑把であり、鉄の品質の向上、安定を目指すには職人の勘と経験だけでは限界があります。熱した物質の温度と光の関係をもっと理論的に知りたいという要請が産業界から出てきました。多くの物理学者がこの問題に取り組みましたが、その一人がマックス・プランクだったのです。

物質を熱した時放出される光の色と温度の関係を研究していく中で、黒い物体についてはその物体の温度のみに左右された光が放たれることが判明します。物体の温度と放出される光の関係を調べるにはうってつけの研究対象でありました。これを当時の物理学では、黒体放射の研究と呼んで、研究が進められて行きました。この黒体放射の研究で明らかになったのは、実際に観測して得たデータと、既存の物理学における想定とが見事に食い違ったことでした。既存の物理学における想定では、光の明るさに従って、光の振動数も右肩上がりの直線的グラフを描くはずでありましたが、実際の観測を元に作成したグラフは、その想定とは全く違う曲線を描いたのです。当時の物理学ではこの矛盾を説明できませんでした。

そんな中登場したのが、マックス・プランクでした。プランクはまず、観測で得られた曲線グラフを数学的に正確に示す方程式を導くことに成功しました。この方程式はプランク方程式と呼ばれています。そこからプランクは、なぜ既存物理学の予想とは全く異なる観測データが得られるのだろうか。なぜ自分の導き出した方程式が成立するのだろうかと考えました。その悩みから生まれた革命的な概念が、エネルギー量子仮説です。これこそ量子論の始まりとなる革命的発想なのです。ではエネルギー量子仮説とは一体何なのか。

まず量子というのは冒頭で述べたように、原子そのものや、その原子を構成する電子、陽子、中性子などの超ミクロな構成単位の総称です。そして量子というのはエネルギーの単位を概念的に示す言葉であり、物理量の最小単位のことであります。ここで注意しなければならないのが、量子という言葉は特定の粒子を表現しているわけではないということです。量子というのは粒の名前ではなく、エネルギーの最小単位を指し示す概念だということです。エネルギー量子仮説が明らかにした驚くべき事実は、物理エネルギーが量子が示す最小エネルギーの整数倍でしか値を取れないというところにあります。例えば光のエネルギーの最小単位はhvという単位で示されますが、1hv、2hv、3hvというように、必ず整数倍のエネルギーしか持てないことが明らかになったのです。この光のエネルギーの最小単位hvこそが量子なのです。プランクは、このエネルギーの最小単位である量子を粒として表現しました。この粒は最小単位なのでそれ以上分割できません。従って0.5hvなどのように整数倍でない値は取れないのです。今までの既存物理学はいわゆる巨視的な物体の運動を数学的に説明することに矛盾はありませんでした。しかし超ミクロの世界においては、量子という最小単位の整数倍、つまり量子を段差とする階段のように、とびとびの値しか取れないのです。グラフでは右肩上がりのスロープのように見えても、実は超ミクロの量子の世界では階段状に右肩上がりになっているということが明らかになったわけです。ピラミッドも遠くから見ると直線に見えますが、近くで見ると階段状になっていますよね。これと同じように量子も階段状の値しか取らないというのがエネルギー量子仮説であり、量子論の始まりなのです。

 

ということで今回はここまで。チャンネル登録高評価コメントいただけると嬉しいです。

次の動画でお会いしましょう。それではまた。