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科学の歴史⑥

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さて、マックスプランクが提唱したエネルギー量子仮説。19世期最期の年の1900年、人類は量子物理学の世界へ足を踏み入れたのでした。

プランクのエネルギー量子仮説をさらに押しすすめたのが、20世期最高の物理学者と評される、アルバート・アインシュタインです。

プランクはエネルギー量子仮説において、エネルギーの最小単位を量子という概念によって説明しました。プランクの言う量子というものは概念的であり、量子が物理的な粒であると表現したわけではありませんでした。ところが1905年、プランクのアイデアを押しすすめてアインシュタインが光量子仮説、という理論を提唱したのです。光を光量子という粒の集合体とするこの理論は、当時の物理学において説明できなかった、光電効果という現象を理論的に説明することができたのです。

光電効果とは、波長の短い光を金属にあてると、金属表面から電子が飛び出してくる現象であります。これは光を波動と考えた場合、説明のつかない現象でしたが、アインシュタインの光量子仮説は、光電効果の法則を理論的に説明してみせたのです。

アインシュタインが光量子仮説を提唱したのは、超有名にしてアインシュタインの代名詞である相対性理論が発表される3カ月前のこと。アインシュタイン26歳の時でした。人類史に永久に刻まれるであろうこの輝かしい業績は、当時無名の特許局職員である26歳の若者によって示されたのです。

アインシュタインはノーベル物理学賞を受賞していますが、それは相対性理論に対して、ではありません。実はこの光量子仮説に対してなのです。これについては、アインシュタインがユダヤ人であることで民族の差別問題が複雑に絡んでいたうえ、ノーベル賞選考委員が革新的な相対性理論への適切な評価を下すことが難しかったことなどがあり、安全策として光量子仮説に対してノーベル賞が授与されたと言われています。複雑の問題を抱えていたノーベル賞選考委員にとっては、光量子仮説が妥当な評価対象だったのでしょう。このように不健全な状況がありつつも、光量子仮説が偉大で革新的な理論であることに変わりはありません。なぜなら、17世期から続く光の粒子説と波動説の対立に終止符を打ったからです。

19世期末、光は波動であるという物理学界の共通認識がありました。しかし光電効果という現象は、光を波動として扱うと説明のつかない現象だったのです。ここに光量子仮説をひっさげてアインシュタインが登場しました。アインシュタインが提唱する光のモデルはノーベル賞にふさわしい画期的な考え方でした。光を構成するのは光量子という粒子であり、光量子は粒子と波動の性質を合わせもつと主張したのです。光が粒子として振る舞うとき光電効果を引き起こし、波動として振る舞うときには、実験で示されたように干渉の痕跡を残す。かつて実験や観測で得られた光の振る舞いは、粒子として振る舞う光と波動として振る舞う光の一面を示していたに過ぎなかったわけです。

光というものの正体を探る歴史をまとめます。

まず19世期までは光の干渉現象などから光は波動であるという考え方が物理学界の常識でありました。次にマックスプランクがエネルギー量子仮説を提唱。光のエネルギーはとびとびの値、不連続な階段状の値しか取れないことを仮説だてます。そしてアインシュタインが光電効果を説明するため光量子仮説を提唱。光が粒子と波動の二重性をもつことが物理学界の新常識になったのです。

光の探究から生まれた量子という概念。この概念が生まれる前の19世期末、既存の物理学はほぼ完成されているというのが物理学界の共通認識でありました。実際プランクが16歳のとき、自らの進路について大学教授にアドバイスをもらいに行ったとき、物理学に今後新たな発見はない。と断言されたほどでした。

しかし古典物理学では説明できなかった光の振る舞いが、量子という概念で説明できたことは、物理学上の大発見でありました。さらに量子の概念をもってしても説明のつかない問題へもアインシュタインが答えを出します。なぜ光の速度は観測者が止まっていても動いていても常に一定の速度で観測されるのか、という問題。これは光量子仮説を提唱したわずか3か月後、相対性理論の提唱によって解決しました。相対性理論の中で、アインシュタインは光速度不変の原理を提唱しました。このように古典物理学の欠陥を補い、それを乗り越える理論として登場した量子論と相対性理論は、20世紀最大の物理理論として人類の常識を覆し、20世紀を物理学の世紀と呼ばれるものにしたのです。そして現代においても現代物理学の2つの柱として存在しているのです。

20世紀初頭、これらの革新的理論が提唱されたわけですが、量子論が確立されるのはもう少し後のことです。プランクは量子論を産みましたが、産みの親がいれば育ての親もいるのです。デンマークの理論物理学者ニールス・ボーア。彼こそ量子論の育ての親と評される人物なのです。

1927年、電子と光子をテーマに開かれた第5回ソルベー会議において、ボーアとアインシュタインが物理学理論の本質をめぐって激しい論争を展開しました。結局、量子力学に対しては、ボーアたちによるコペンハーゲン解釈と呼ばれる考え方が妥当性を有することが承認されるに至ったのです。

このときボーアをはじめとする科学者たちによって示された量子の振る舞いは、ニュートン力学的考え方とはおよそ相いれない、異端と言っても差し支えない驚くべきものでした。デンマークの首都コペンハーゲンにあるボーア研究所から発信されたコペンハーゲン解釈。この解釈のもっとも代表的なものが量子の振る舞いは確率で予測するしかないというものです。コペンハーゲン解釈においては、量子の位置や速度は確率的にしか示すことができず、その存在は波のように拡がっているというのです。この「確率的である」という事こそが量子の振る舞いの本質なのだというのです。これは一体どういうことなのでしょうか。従来のニュートン力学では、前提条件が数学的に示すことができれば、正確に未来を予測することができますよね。重さ何グラムのボールをどのくらいの加速度でこれくらいの角度で投げるというように前提条件さえわかれば、数学的に落下位置を正確に予測できます。数学的な理論や、物理法則がわからなくても、直感的に意味がわかります。しかし量子の世界は、そんな予測が通用しないのです。量子は波のように確率的に存在しているというのです。しかもさらに不可解なのが、我々が観測したその瞬間に、量子の位置を示す確率の波は数学的に一点に収束し、量子の位置もある一点に決定されるというのです。全くもって不気味で不可解な考え方ですよね。これを波動関数の確率解釈と呼びます。

波動関数の確率解釈は現在の量子力学においては主流の考え方ですが、量子論の黎明期、量子論の発展に多大な貢献をした多くの科学者たちでさえも、確率解釈を徹底的に攻撃しました。量子の概念を提唱したプランク、光量子仮説を提唱したアインシュタイン、電子を波動として考えたド・ブロイ、波動関数を示したシュレディンガー。彼らは、確率などというものが物理学の世界に持ち込まれることに激しい嫌悪感を覚えたのです。確率解釈は、それまで自分たちが示してきた数学的に予測可能な世界を無視した解釈に他ならなかったのです。

かつて物資には定められた目的があるんだとするアリストテレス的世界観は、目的論と呼ばれました。そしてこれを覆したニュートン力学は、数学的に物理法則を正確に予測することができる決定論を示したのです。しかし量子論によれば、そもそもこの世界は、万物を構成する原子や粒子というレベルでは決定論的ではなく、未来に起こるであろう確率しか決定できない確率論の世界であるというのです。かつて目的論から決定論へと移り変わった変革は大きな変化でしたが、決定論から確率論へのパラダイムシフトはさらに大きな変革であると言えます。かくいう我々自身もニュートン力学の信奉者である以上、確率論への違和感を示さずにはいられません。この違和感をかつてアインシュタインが代弁しています。神がサイコロ遊びをするなどとはどうしても思えない。アインシュタインは聖書にあるようないわゆる旧来の神の存在は信じていませんでした。アインシュタインの言う神というのは、美しくシンプルな宇宙の法則を象徴する真理そのものでありました。この世界は美しくシンプルな物理法則が支配しているという信念を持っていたアインシュタインにとって、偶然と確率が宇宙を支配しているなどという考え方は、到底受け入れられるものではなかったのです。それと同時に我々自身の常識も、ニュートン力学に支配されている以上、次なる領域には到達できないのではないでしょうか。

ということで今回はここまで。有意義と感じましたらチャンネル登録高評価コメントお願いします。次の動画でお会いしましょう。それではまた。