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プロパガンダに溢れる社会

あなたは自分で考えていない。

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今回のテーマは、1998年に出版された「プロパガンダー広告・政治宣伝のカラクリを見抜く」という書籍を参考に解説していきます。

本書はアメリカのアンソニー・プラトカニス、エリオット・アロンソンの2人によって執筆された社会心理に関する書籍で、現代はプロパガンダに溢れ、私たちは無自覚に思想や価値観、行動を扇動されているんだよ、ということを教えてくれる本です。

プロパガンダと聞いて、政治の陰謀論的なやつですか?と思ってしまいがちなんですが、違うんです。本書では、現代に生きる私たちは、誰もプロパガンダからは逃れられないんだと強調しています。プロパガンダというのは大衆を扇動するための手法であり、日本語に言い換えると大衆の説得というワードで説明されています。本書では、プロパガンダがいかに現代に溢れているか、大衆を効果的に説得するためにどのような手法が駆使されているのか、そして説得はどのように大衆に伝えられ、どのような効果を生み出すのかを膨大な実例をもとに語っています。その上で私たちはどうすればプロパガンダを見抜き不要な扇動から自己防衛することができるのかを教えてくれているんです。

プロパガンダという言葉の起源は1622年、カトリック教会が設立した布教聖省に由来します。当時、人々の価値観を支配し絶対的権力を握っていたカトリック教会。免罪符を売りさばき私服を肥やしていた教会に対し、プロテスタントが抵抗運動を高めました。宗教改革ですね。この抵抗運動に対しカトリック教会は、言論統制の強化と海外への布教活動を目的に設立したのが布教聖省です。もともと、大衆を扇動するための組織名が由来となった言葉であることがわかりますね。

著者自身、第二次世界大戦時に過ごした少年期、学校やメディアの情報は熱心に信じていたそうです。ドイツ人は悪魔であり、日本人は卑劣で油断ならぬ民族である。対してアメリカ人は正直者でフェアの精神の持ち主であると。時代は流れ現在、大衆扇動はさらに巧妙になっていると著者は述べています。さらに、この大衆扇動の手法を理解し対抗するための手段を身につけることが民主主義を滅ぼさないことに繋がるんだと述べています。おいおいだいぶ壮大な話だなと思っちゃいますが、本書を読むと決して盛った話ではないと思えます。民主主義の存続には、明確でフェアなプレゼンテーション、そして知識豊かな受け手の存在が不可欠であると著者は語っています。そして受け手の情報処理能力が低くなった時、プロパガンダは効果を発揮するとも述べているんです。

さて本書の要点を2つに絞らせていただくと、

  1. 「大衆は無思慮である」
  2. 「マスメディアが巨大な影響力を持っている」

このふたつが挙げられます。本書はアメリカ社会を研究対象とした書籍ではあるんですが、日本においても問題なく適用できる内容です。まず語られるのは、現代はプロパガンダに溢れていて、誰しもが日常的に大衆扇動に晒されているんだよ、ということです。平均的なアメリカ人は一週間に30時間テレビを視聴し、1日あたり数百の企業広告に晒されているそうです。日本でも自宅ではテレビ、新聞、ラジオ、雑誌。街を歩けば看板、ポスター。スマホを見ても企業広告を見ない日はないでしょう。いかなる時も誰かが私たちを教育しようとし、商品を買わせようとし、特定の候補者に投票させようとし、何が正しく真実であるか、何が美しいかを教えようとしているんだと著者は語っています。

私たちはそんなプロパガンダ社会に生きていることを踏まえ、どうすれば不必要な大衆扇動から自分を守れるのかを、本書の要点を2つに絞って解説します。それではいきましょう!

まずひとつめの「大衆は無思慮である」ということを解説します。これは人間が「認知的倹約家」なんだよ、ということを語っているんですが、簡単に説明すると、人間の情報処理能力には限りがあるので、人は無自覚に複雑な問題を単純化してしまって、深く考えずに説得を受け入れてしまうものなんだよ、と説明しています。

説得やプレゼンテーションを受ける人は2つの受け方を示すことを本書では語っています。それは「周辺ルート」そして「中心ルート」。情報の受け手はこの2つのうち必ずどちらかの状態をとります。この周辺、中心というのは説得したい対象の人が物事の周辺を見ているか、中心を見ているかの違いであり、つまり周辺ルートの場合は情報発信者の魅力やイメージ、周りの人々が賛成しているかどうかなどの単純な手がかりによって情報を処理しようと振舞います。これに対して中心ルートでは、提示された情報のメリットを慎重に吟味し、積極的に反論を述べたり、質問して回答を求めたり、新たな情報を欲しがったりするのです。言うまでもなくプロパガンダに流されるのは前者の周辺ルートを選択した場合です。

大衆扇動を目的とする場合、周辺ルート民を対象とすることが前提となります。短く、覚えやすく、視覚に訴えるプロパガンダは、深く考えない周辺ルート民をたやすく扇動することができるのです。しかし短く覚えやすく視覚に訴えるプロパガンダは中心ルート民へは逆効果となります。なぜなら情報の不足さやイメージ先行のプレゼンテーションは単純な白黒議論になりがちで、思慮深い中心ルート民の納得が得られないばかりかプロパガンダを看破されることとなるからです。

一つ実例を紹介します。本書で語られていない事例ではありますが、2006年小泉内閣郵政民営化を争点とした選挙の際、自民党が広告会社にある分析を依頼しました。その依頼は、メディアを使って選挙戦をどう闘うべきか。これを受け広告会社が作成した企画書の中で、国民はA層、B層、C層、D層の4つに分類され、このうち多数派であるB層をターゲットに広告を打ち出すことで効果を得ることができるだろうというものでした。このB層というのは、マスメディアに流されやすく、比較的IQが低い人たちのことで、郵政民営化のことはよくわからないが、小泉純一郎のキャラクターを支持する層のことで、まさに周辺ルート民の特徴を兼ね備えた典型的なプロパガンダの対象であることがわかります。実際このプロパガンダは大きな効果をあげ、自民党が圧勝することとなったのです。

このケースでは自民党のケースについて語りましたが、プロパガンダは特に政治において利用していない政党はまずないと断言できます。日本のみならず世界中の民主主義社会において、プロパガンダは有効な手段なのです。日本における民主主義は国民主権ですから、多数決の民主主義においては多数派の国民を扇動することは常套手段であるとも言えるのです。

なお政治に限らず、流通している商品のほとんどはこのB層、周辺ルート民をターゲットにして作られています。本来は人それぞれの価値観があるはずなのに、特定のブランドや特定のアーティスト、特定の生活習慣を無自覚に支持する行為は、まさにマーケティングという名のプロパガンダに餌食にされていることの証明なのです。

このように、B層、周辺ルート民は恣意的な情報を疑うことなく受け入れ、論理的に思考することを止め、作り上げられたイメージをそのまま摂取していることがわかります。

問題なのは、このようなプロパガンダはあまりにも日常的に数多く浴びせ続けられているということです。思慮深く物事を判断できれば良いのですが、供給過多な情報量、人間の情報処理能力の限界もあって、重大な問題や決定について深く考えることが困難な社会になっているのです。

この状況は現代民主主義の危機であると著者は述べています。言論の自由が保障されフェアな意思決定ができる法の上で、認知的倹約家である私たち大衆は、政治的メッセージを詳細に検討する代わりに、単純な手がかりやわずかな証拠に頼って判断してしまいがです。その結果、論理に訴える説得よりも無思考的でイメージ先行型の判断を餌食にするプロパガンダが蔓延すると懸念しているのです。そしてこのジレンマを解消するためには、私たちひとりひとりが重要な情報を周辺ルートで処理する可能性を最小限に抑える努力をしなければならない。そうするためには問題について考える能力を教育によって高め、プロパガンダを理解し看破する能力を身につけることが、民主主義の継続には必要になると著者は主張しているのです。

 

そして二つ目の要点は、マスメディアが巨大な影響力を持っているということです。私たち一般大衆が世界をどのように見ているかということについて議論する機会があったなら、マスメディアはその社会的責任について自らを戒めるメッセージを発信する必要があります。「犯罪の凶悪性を暴くため努力して参ります」とか「政治や企業などの権力に対して弱者を代表し監視の目として存在しています」などと言おうものなら、私たちは疑念の目を向けなければなりません。資本主義社会におけるマスメディアの本質は、視聴率至上主義の一点につきます。これは構造を考えればたどり着ける、シンプルな事実です。高い視聴率を維持することは、企業広告による収入を約束するからです。マスメディアは民衆や弱者の代弁者ではないのです。むしろ民衆からの搾取を促進する広告塔であり、資本主義社会においてはむしろ健全な姿とも言えます。

問題なのは、ある研究によって明らかになった、マスメディアが民衆の価値観に及ぼす影響についてです。ジョージ・ガーブナーの研究グループは、1960年代後半以降、アメリカのゴールデンタイムに放映される番組を数千本録画しその内容や登場人物を注意深く分析しました。すると、テレビが描き出す世界は、現実世界とはかけ離れたものであるにも関わらず、多くの視聴者がテレビが描く世界を現実が反映された世界として認識していることがわかったのです。

アメリカのゴールデンタイムに放送される番組においては、男性は女性よりも3倍多く登場し、そこで描かれる女性は男性よりも若い。白人でない人物や、幼児、老人は登場することが少ない。そしてその少数派の属性の登場人物は、番組の中でマイナーな役回りであることが多い。さらに登場人物の多くは、医者や弁護士などの専門的職業に属している場合が多い。さらにテレビに出てくる犯罪は、現実世界における発生件数の10倍にも達しており、登場人物の半数以上が毎週暴力的な場面に巻き込まれている、と言う特徴があることがわかりました。

この情報を踏まえ、研究者であるガーブナーはある比較を行いました。それはたくさんテレビを見る人と、あまりテレビを見ない人のグループに分け、それぞれがどのように現実世界を認識しているかを比較したのです。その結果、たくさんテレビを見る人は、

  1. 人種的な偏見の態度を表しやすい
  2. 医者、弁護士などを職業とする人々の数を現実より多く認識している
  3. 男性に比べて女性は能力が低いと考えている
  4. 世の中の犯罪件数は、実際の件数よりも多く発生していると考えている

このようにテレビをたくさん見る人は、テレビで放送される世界観を真に受けていることが調査によって明らかになったのです。これはマスメディアが人々の価値観を操作しうることを物語っています。マスメディアが描く世界観は、なぜそれほどまでに影響力を持っているのでしょうか。その理由の一つは、大衆はマスメディアが発信する情報に疑問を呈することがないと言うことです。例えば、いろんなニュースがある中で、なぜこのニュースが流されるのか。警察は本当にこのような捜査をしたのか。世界は本当にこれほど暴力や犯罪に支配されているのか。などと自問自答することは滅多にしないのです。マスメディアが視聴率欲しさに発信している世界観や価値観は、現実を映し出したものとして受け入れられてしまうことが多いのです。

このことについて、政治科学者バーナード・コーエンは次のように述べています。

マスメディアは、人々が何を考えるべきかを伝えるのに成功しているとは言えない。しかし何について考えるべきかを伝えることには大きな成功をおさめている。

この世界は、テレビ、新聞などがどのような地図を描き出すかによって、人々の目に異なったものとして映し出されるのです。

再度本書で語られることをまとめると、

  1. プロパガンダは日常に多く存在していて決して避けられず、多くの場合短く覚えやすくイメージ先行な形で大衆の無知につけこんで行われる。
  2. マスメディアが形成する、大衆の価値観は現実世界に大きな影響を与えている。

この2点になります。私たちはプロパガンダから逃れることはできません。だからこそ恣意的で感情的な情報に対して深く考え、物事の単純化を避けて思考しなければならないのです。大衆が無知になればなるほどプロパガンダはより単純化、感情的になり、さらに大衆の無知は加速していくと言う負のスパイラルを生み出してしまうのです。これが著者の危惧する民主主義の崩壊です。

あなたは自分で考えていますか?

と言うことで今回はここまで。

有益だと感じられましたらぜひチャンネル登録高評価をお願いします。そして次の動画でお会いしましょう。

それではまた。