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葬式はいらない!?日本の仏教と葬式の歴史【世界一の葬儀費用、信仰なき葬式仏教】

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さて当チャンネルをご覧の皆さんの中で、葬式の喪主を勤めたことがある方はいますでしょうか。葬式というものは、突然に訪れるものですよね。喪主を勤めたことがなくても、葬式に参加したことはあるという方は多いと思います。突然に訪れる葬式に対して、誰しもが葬式に関わる作法やマナーについてわからないことを親戚に聞いたり、本屋に走ってマナー本を買って読んだりしたことはあると思います。実際、インターネットで検索しても、冠婚葬祭のマナーやしきたり、作法に関する情報が山のように出てきますよね。

分からなくて普通。分からないことはお金を払って葬儀屋に頼めばいい。そういう風に考えられるのなら、何も問題はないかのようです。しかし私は、根本的なハナシをさせていただきます。それは、本当に葬式は必要なのか?ということです。故人を偲ぶための葬式ならば、既存の仏教式の葬式以外の方法もあることでしょうが、大多数の日本人は、作法やしきたりを良く理解しないままに、なんとなく葬式をあげているのではないでしょうか?葬式をあげないことで後ろ指をさされたくないだけなのでは?喪主を勤めた方への負担は相当なものです。突然訪れる葬式に、参列者への配慮や葬式の準備、葬式の後参列者へのお礼参り、初七日、四十九日、各種法事・・・いったい日本人の何割が、葬式や法事を行う文化的背景を理解しているのでしょうか。そして結婚式は和式洋式の選択肢があるのに、なぜ葬儀は和式しかないのか。さらに、葬式の際に親戚の間で作法の違いについて口論が発生するのも良く聞きますよね。故人を蔑ろにして不毛な主張が繰り広げられることも葬式への疑念を抱いてしまう大きな理由であります。見積もりのない葬儀価格も不透明さを加速させます。いずれにしろ私達日本人は、文化的背景や宗教的背景に無自覚で、なんとなく葬式をやっているようにしか思えないんです。葬式そのものを否定していません。故人を偲ぶという行為は、世界的に見ても普遍的な文化だからです。私が問題提起したいのは、既存の仏教的葬儀以外の方法があっても良いんじゃないかということです。故人を偲ぶということを目的にしているのであれば、その形式は選択の余地があって然るべきだと思うのです。経済的理由も当然あります。

いったいなんのために葬式を行うのか。私たちはそのことに無自覚過ぎるのではないでしょうか。この疑問に直球ど真ん中で答えてくれる書籍があります。島田裕巳さんの「葬式は、要らない」。ど直球のタイトルですよね。2010年に出版されたこの書籍の著者、島田さんは、宗教学者であり、現代日本における宗教と葬式の歴史をもとに、葬式のあり方について考察しています。それではいきましょう!

まず本書で語られるのは、高額な葬儀費用です。このことを各国の平均葬儀費用と比較して紹介しています。まずイギリス。イギリスは12万円です。続いては韓国。韓国は37万円。ではアメリカはどうでしょうか?アメリカは44万円。なるほど、各国で結構違いますね。文化の違いもあるでしょうから納得はできます。では我が日本はいったいいくらだと思いますか?日本における葬儀費用の平均は、なんと、231万円です。高くないですか?高過ぎると思うんですよね。なんでこんなにも高額なのでしょうか。この葬儀費用231万円というのは世界一なのだそうです。

著者の島田さんは、現代日本の葬式は贅沢であると述べています。贅沢という言葉の意味は、必要の限度を超えた、過分な消費、つまり浪費ともいえます。必要の限度を超えて、お金や物を惜しみなく浪費しているのが日本の葬式だと著者は述べているんです。なぜ日本の葬式は贅沢なのでしょうか?人類は古代から様々な形で葬式を行なってきました。人類にとって葬式とは普遍的なことなのです。しかし日本人が葬式に大金を注ぎ込む行為は決して普遍的ではありません。2007年、日本消費者協会が行ったアンケートでは、葬儀費用総額の全国平均は231万円でありました。その内訳は、葬儀屋へ支払う葬儀費用一式が約140万円、仕出し屋などへ支払う飲食接待費用が約40万円、寺などへ支払うお布施、心付けが約50万円となっています。葬儀費用は地域差もあり、全国最低が四国の150万円、もっとも高いのは東北で282万円であり、四国の倍近くとなっています。世界各国と比べると、葬儀費用の高額さが際立ちます。イギリス12万円、ドイツ20万円、韓国37万円、アメリカ44万円ですからね。しかも日本における葬儀費用はさらに上昇し、贅沢になっているのだそうです。

そしてわれわれが抑えておかなければならない知識は、葬式は法的義務ではないということです。死者が出ると医師が死亡診断書を書き、それを役所に届け出ると火葬許可証が発行されます。その後は、墓地、埋葬等に関する法律、略して墓埋法、これに定められた事項にのっとって遺体を処理することとなりますが、重要なのは次の3点です。1点目は、死亡後あるいは死産後、24時間経たなければ埋葬も火葬も行ってはならない。これは万が一死亡診断に間違いがあってはならないからです。つまり生きているかもしれない人を早とちりで火葬することがないようにするための猶予期間です。2つ目は、火葬は火葬場以外で行ってはならないこと。3点目は、埋葬は墓地以外で行ってはならないこと。この3点が墓埋法の重要な3点になります。

墓埋法において葬式を行うことは義務づけられていないのです。さらに葬式だけでなく、墓を作らないことも可能です。墓埋法では埋葬は墓地以外では行ってはならないと規定されていますが、そもそも埋葬をしないのであれば、墓は不要となります。その際の選択の一つが散骨です。遺骨を砕いて灰にして海や山に撒くのです。

そうは言っても現代日本における葬式といえば大多数が仏教式の葬式ですよね。では仏教式の葬式というものの原点はどこにあるのか。そもそも仏教の歴史ってどんなだっけ?ここをザックリ説明します。まず仏教は、紀元前5世紀頃、インドで始まりました。開祖は釈迦、彼は王族として生まれ、何不自由なく育ちましたが、人生には病、老い、死があり、生きることには苦しみが付き纏う。どうすれば苦しみから逃れられるのかを考え抜くために29歳で出家し、苦行の末35歳で悟りを開きます。仏教の根底には、発祥の地であるインドの死生観が色濃く反映されています。人生は苦しみに溢れていて、人は死と輪廻転生を繰り返す。人生は苦しみに溢れているのだから、永遠に続く輪廻転生は、終わることのない苦しみと捉えられるわけです。この苦しみから逃れることが解脱であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の教えなのです。

そして仏教における根本的な考え方として色即是空というものがあります。色とはこの世の万物のことを表していて、空とは空っぽであるということです。この世のあらゆるものは姿形をとっているが、それは絶対不変でなく常に変化していくものであり、万物の本質は空である、とされています。これは同じく仏教における、原因があって結果があるとする因果という考え方と密接に結びつきます。原因を取り除けば結果も消える。私たちが一喜一憂する物事の一切、つまり苦しみや悲しみという結果も、原因を取り除けば消しさることが可能だとする考え方なのです。このように仏教とは、なぜ人生は苦しいのか、苦しみから逃れるにはどうすれば良いのかという人の持つ普遍的な苦悩に対して答えを求めていく、一種の思考体系と言えるでしょう。釈迦は、虚っていく現世において、富や権力、あらゆるものにすがって生きることの虚しさを説き、苦しみから逃れるためにはあらゆるものへの執着を捨てることを説きました。執着した物事に関わる苦悩からは、執着を捨てることで逃れられると説いたわけです。釈迦は死後の世界については、死んで見なければわからないとして、死後の世界を考えたり心配するのは無駄なことであるとも説いています。

釈迦は深く思考し教えを説きましたが、ここで現在の葬式仏教を思い出してください。社会的立場が高い人物や世間での認知度が高い人が亡くなると、派手に葬式をやりますよね。これみよがしな巨大な祭壇と大量の花々、生前の社会的立場をアピールする大量の参列者。ここに釈迦の教えは感じられません。むしろ世間体、見栄、名誉などの俗物的精神が感じられます。世俗を捨て、解脱に至ろうとする釈迦の教えでしたが、世間体を気にしたり、見栄を張り、名誉に固執する有様には初期仏教の欠片も見えません。いったいなぜここまで違うものになってしまったのでしょうか。それには日本における宗教の歴史を知る必要があります。

もともと日本における土着信仰は神道でありました。自然と神は同一視され、アニミズム的であり、民族信仰、自然信仰、祖霊信仰を基盤とし、神と人を結ぶのが祭祀であり、祭祀を行うのが神社なのです。神道には開祖となる人物ははおらず、教典も存在しません。強いて言えば日本神話でしょうか。万物に神が宿るとする考え方は、日本人であれば多くの方が理解を示せると思います。日本の文化に神道の信仰が根付いている証拠でしょう。5世紀頃、日本に仏教が伝来したあと、奈良時代において土着信仰であった神道の神々と、仏教における仏を同一視し融合しようとする思想が生まれました。これは神仏習合と呼ばれます。

さて、日本における仏教は、様々に分派していくこととなります。奈良時代には奈良仏教と呼ばれる6つの宗派が確立します。これらは後に生まれる宗派に比べ、人々の救済というよりは仏教の学術的研究に重きを置いた宗派であると言われています。日本の首都とされていた奈良の平城京ですが、そののち京都の平安京への首都機能の移転が計画されたのですが、その原因となったのが力を持ち過ぎた奈良仏教の影響と言われています。朝廷に保護され、過大な力を持った奈良仏教を排除するため、794年、首都機能の移転、遷都がおこなわれたのです。鳴くようぐいす平安京ですね。この平安遷都を行ったのが桓武天皇でしたが、桓武天皇は奈良仏教に対抗するための新しい仏教として、最澄の天台宗、空海の真言宗を保護したのです。この平安時代の2つの宗派は平安仏教と呼ばれています。

さらに平安時代末期から鎌倉時代にかけて、また新たな宗派が6つ確立します。これらを鎌倉新仏教と呼びます。これら鎌倉新仏教はそれまでの仏教との明確な違いがあります。厳しい戒律や学問を必要とした既存の仏教を嗜んでいたのは貴族に限られていました。出家し長期間の修行となれば、日常生活に余裕のある限られた人間しか行えません。奈良仏教と平安仏教というものは、特権階級のみのものだったのです。このことから平安仏教以前の仏教は貴族仏教とも言われています。これに対して鎌倉新仏教は、出家せず世俗に生きながらも信仰さえあれば救いを受けられるという特徴を持っています。この鎌倉新仏教の持つ特徴は、学のありなしにかかわらず誰にでも受け入れやすい信仰体系にあり、一般大衆にまで広く普及することとなりました。出家し修行するというのは、生活に余裕のある限られた人しかできない特別なことだったわけです。しかし信仰さえあれば厳しい修行は必要ないとなれば、多くの一般大衆が救いを求めて仏教に傾倒したことは容易に想像できるでしょう。

鎌倉新仏教の6つの宗派のうち、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗の4つは、最澄が中国から輸入した天台宗から派生した宗派です。6つのうち残り2つ、曹洞宗と臨済宗。これは13世期の鎌倉時代に日本に伝来した禅宗を取り入れ派生したものです。この鎌倉新仏教から、現代における葬式の形態が形づくられていきます。

このように仏教というものは、仏教伝来した飛鳥時代から奈良時代にかけては、高度な学問体系として受容された特権階級だけの嗜みでありました。ところが平安時代末期から鎌倉時代にかけては、その信仰方法が簡単になっていきます。出家する必要もなく、念仏を唱えさえすれば、その信仰が認められたことで一般大衆にまで仏教が浸透することとなるのです。

さて、仏教伝来から奈良仏教、平安仏教、そして鎌倉新仏教というザックリした流れを説明しましたが、この仏教の歴史と葬式がどのように関係しているのでしょうか。もともと学問として受容された仏教伝来初期の飛鳥時代から奈良時代にかけては、あくまで仏教の教えを学ぶことが目的であり、一般大衆が葬式を営むことはありませんでした。現代の葬式仏教の原点となるのは、浄土教信仰です。浄土というのは、人が死後生まれ変わる現実世界とは異なる別世界という概念であります。さらに浄土とは対象的世界観が地獄です。罪を犯した人間は地獄に堕ち、その地獄がいかに恐ろしい世界であるのか、その世界観を強調したのが浄土教信仰なのです。この浄土教信仰確立に決定的な役割を果たしたのが平安中期の天台宗の恵信僧都源信(えしんそうずげんしん)という僧侶でありました。

源信は極楽浄土へいくための方法を示した往生要集という書物を書きました。この書物では、地獄がいかに恐ろしい世界であるのかを強調しているのですが、これによって、人々は是が非でも極楽浄土へ行きたいと願うようになったのです。さらに往生要集では、どのように死に臨むべきかも具体的な方法を記しています。僧侶が、病気などを患い死に行く者とともに念仏を唱え、死後もまた、死者が浄土へ行けるよう念仏を唱え続けることが決まりとなっていました。

このように、源信が示し広めた世界観は、平安貴族に影響を与えました。平安貴族らは、地獄に堕ちることを恐れ、極楽浄土へ行くことを強く願ったのです。その願望を具体的に表現したものが、浄土式庭園や阿弥陀堂なのです。なかでも代表的なのが、京都に現存する平等院鳳凰堂です。現世において豊かで華やかな暮らしを謳歌していた平安貴族たちは、この暮らしを死後も続けたいと願い、地獄に落ちることをとても恐れたのです。極楽浄土を模した浄土式庭園や阿弥陀堂をつくりだすことで、死後、極楽浄土へ行くことを強く願ったんですね。この浄土教信仰にこそ、日本人の葬式が贅沢になる根本的な原因があるのです。極楽浄土という世界観と、死後は極楽浄土に行きたいと願う価値観、そして極楽浄土は壮麗な美しい世界であるというイメージこそが、豪華な祭壇や装飾に繋がるわけです。葬式における装飾というのは、死後の世界、極楽浄土を願い描き出したものなのです。

さて平安時代から時は流れ鎌倉時代に入ると、新仏教の時代となります。鎌倉新仏教とは浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗の6つが数えられていますが、平安時代の浄土教信仰をさらに世に広めたのが、浄土宗の開祖、法然です。法然は平安時代末期、天台宗に学び、その上で新たな信仰を確立しました。それが、念仏を唱えさえすれば極楽浄土へ行ける、という念仏信仰でした。これは出家や修行をすることができない庶民にとって受け入れやすい信仰でした。法然の念仏信仰という教えは瞬く間に社会に広がり、多くの信者を獲得しました。さらに、この法然の教えを受け継ぎ、浄土真宗の開祖となるのが親鸞です。親鸞は念仏のほか、救いを阿弥陀仏にゆだねる他力本願の教えを説きました。これは自らの修行によって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の力に頼って成仏しましょうというものです。この親鸞の活動により、浄土教信仰は貴族から一般大衆のものへと変貌しました。法然や親鸞が説いたのは、ひたすら南無阿弥陀仏を唱え、その教えに従いさえすれば、浄土式庭園も阿弥陀堂もつくる必要などありませんでした。法然と親鸞の活動は、仏教の教えというものを念仏行に集約し、仏教と死後の世界を強く結びつけ、大衆化することに貢献したのです。しかしながら、現在の葬式仏教の様式を開拓したわけではありませんでした。仏教式の葬式が開拓されたのは、おなじく鎌倉新仏教のひとつ、曹洞宗においてでありました。

曹洞宗は鎌倉時代に中国から伝来した禅宗をもとに道元が開いた宗派です。道元は只管打坐を説き、ひたすら座禅して悟りを開くことを強調しました。この座禅を重視する曹洞宗の教えと仏教式の葬式が結びつくのはイメージしにくいとおもうんですが、曹洞宗において仏教式の葬式が確立するのには、儒教の影響があったのです。もともと中国で確立された禅宗は、中国の伝統的宗教である儒教との親和性が高い教えでありました。儒教では、先祖を敬う祖先崇拝が重視されており、その祖先崇拝が禅宗にも取り入れられていくことになるのです。そして禅宗において構築された葬式の作法は、悟りを拓いた僧侶のものと、修行の途中で亡くなった僧侶のものと、2つの作法がありました。このうち修行の途中で亡くなった僧侶、というカテゴライズを一般大衆と結びつけることで、葬式が大衆化することとなるのです。どういうことかというと、修行の途中にあるということは、完全な僧侶であるとは言えないよね、むしろ出家していない一般大衆に近いよね、とみなし、一般大衆にまで葬式の適用範囲を広げたわけです。ここで問題となるのは戒名です。

戒名というのは、宗派の戒律を守ることを誓ったものに与えられる名前で、出家したものの証にもなる名前です。多くの人が死者に与えられる名前と認識しているかと思いますが、本来は出家した修行中の者に与えられる名前なのです。出家した僧侶というものは、世俗での名前とは別の名前を戒名という形で授かることで、世俗を離れ、今までとは別人となり修行に入るわけですが、出家していない一般大衆には戒名がない。そこで亡くなった一般大衆の信者をいったん出家したことにして、出家の証である戒名を授ける、という現代の葬式の基本的な形が出来上がったのです。現代の葬式仏教においては、戒名のランクによって相場が決まっているというのが一般的認識ですが、仏教界はこれを否定しています。戒名にかかる料金は亡くなった人が戒名を授かったときに遺族が自発的な意思で捧げるお布施の一種であり、相場は存在しないというのがその理由だとしています。しかし現実には戒名のランクに応じた相場は存在しており、寺によっては戒名料金と称してその額を紙に書いて本堂に張り出しているところもあるのです。

戒名にまつわる事情というものは他にもあります。ランクの高い戒名を授かったうえで質素な葬式を出す、というのは出来ず、その逆も然りで、戒名のランクに応じた規模の葬式を出すことが求められます。さらに家族の中で一度ランクの高い戒名を授かってしまうと、次に死者が出て葬式を出す際に、同じランクの戒名を授けて貰わねばならなくなります。この性質上、子孫が後になって大きな負担を強いられることもあるのです。

さらに、寺に属する僧侶たちが、戒名について正しい知識や認識をもっているかといえば、実に怪しいものがあると著者は述べています。そもそも、戒名というのは、仏教における戒めを守ることを誓い出家した僧侶に与えられる名前のはずです。しかし現実は、日本の僧侶は伴侶をもち、酒も飲む。どちらも五戒によって戒められていることです。つまり戒めを守らない坊さんから戒名を授かるという根本的な問題を抱えているのが現在の戒名の実態と言えるでしょう。

さて、このように浄土教信仰により芽生えた極楽浄土の世界観、その世界観を再現するための豪華な祭壇や装飾、出家していない一般大衆が授かる戒名。鎌倉新仏教の時代に、その信仰が大衆にも広まるとともに、現代の葬式の基本形が作られていったのです。さらに江戸時代になると徳川幕府が寺請制度を導入しました。これは宗教統制と戸籍管理のための制度で、寺に対し、ここからここまでの地区の葬祭業は、お宅の寺で独占的にやっていいよというものでした。寺の管理下にある家を檀家と呼び、檀家は寺の管理にあることを証明する寺請証文を発行してもらいました。これにより葬祭業を独占的に執り行なうことを保証された寺にとって、寺請制度は都合の良い制度でありました。幕府は、民衆を寺ごとに区画整理し、寺を行政組織の末端に位置づけることで、当時禁じられていたキリスト教信者にまである寺の檀家になることを強制しました。幕府にとっては、寺を利用した戸籍管理、異教徒の排斥、寺や仏教徒の服従を確立することができたのです。この寺請制度により、大衆は必ず仏教式の葬式をしなければならなくなり、戒名も授けられました。現代の檀家制度は、江戸時代の慣習がそのまま残っているんですね。

さて、いかがだったでしょうか。仏教の歴史と、それに伴って形成されてきた現代日本の葬式の形というものをご理解頂けたでしょうか?

今回のテーマの要点を次の4点にまとめました。

1.日本の仏教式葬儀にかかる費用は、世界一である。

2.戒名は本来、出家した僧侶に授けられるものであり、死者に授けられるものではない。戒名を授けられるということは、仏教の戒めを遵守することの証であり、それは生前に授けられるというのが本来の戒名である。

3.葬式における祭壇は、浄土教信仰により確立された、極楽浄土へいきたいという願望が可視化されたものである。

4.われわれ日本人の多くが仏教式の葬式を出すのは、江戸幕府が推進した寺請制度の結果が慣習として残っているからである。

仏教の経緯を知れば、いかに私たちは葬式における宗教的背景や、文化的慣習に無自覚なのかが自覚できるのではないでしょうか。仏教式の葬式というものは、そもそも仏教徒が対象となるはずですが、この動画をご覧になっている皆さんの多くは出家もしていないことでしょうし、念仏すら唱えることもないでしょう。それは私たちが仏教徒であるのかという根本的な話にもなりますが、ともかく我々はあまりにも無自覚に、慣習として仏教式の葬式を受け入れてきたことが分かりますよね。冒頭でも述べましたが、葬式自体は人類の普遍的文化ですので葬式そのものを否定するつもりはありません。ただし、信仰心のない宗教の葬式に大金を注ぎ込むという行為に、根本的な葬式の意義である「故人を偲ぶ」という思いが反映されているのでしょうか。日本社会で当たり前のこととして受容されている葬式仏教、そのしがらみから逃れることは、皮肉にも仏教の開祖である釈迦の教えに準ずる行為とは言えないでしょうか。あなたの人生の終わりは、信仰なき葬式仏教に魂を委ねますか?

ということで今回はここまで。有益と感じられましたらぜひチャンネル登録高評価をお願いします。次の動画でお会いしましょう。それではまた。