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煙草の歴史【1】【タバコから見る世界史】

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タバコの歴史

時代によってさまざまな立ち位置へと変化してきたタバコ。

大まかな歴史

15世紀末以前 アメリカ原住民の文化との密接な関係

15世紀末   ヨーロッパ人とタバコの初接触、薬草としてヨーロッパへ浸透

17世紀はじめ 日本へ薬効とともに伝えられる、ヨーロッパではタバコが大衆化し税収源として確固たる地位を得る

19世紀末   紙巻タバコが機械化により大量生産される、タバコメーカーが海外進出

20世紀はじめ アメリカにおいてタバコの有害性が指摘され反タバコ運動が起き、未成年者へのタバコ販売が違法化。

現代社会におけるタバコの有害性はもはや一般論ですが、1492年コロンブスのアメリカ先住民とタバコとの初接触から1900年代まで実に400ものあいだ、タバコは薬効を信じられ、年齢、性別にかかわらず嗜まれてきたのです。

さらに宗教による他文化への精神的障壁をその「薬効としての需要」をもって突破し、突破後はタバコのもつ依存性が文化への浸透を保証するという、なんだかタバコ自身が巧妙に策略を練っているかのような、もの凄いスピードで世界へ浸透していきます。

そして現代に至り、おもに税収源として確固たる地位に君臨しています。

そんな「たばこ」の歴史を見ていきましょう!

タバコという種

・現在の煙草葉は、ナス科タバコ属の「ニコチアナ・タバカム」という種。

nicotiana tabacum
nicotiana tabacum:ボリビアとアルゼンチンの国境にまたがるアンデス山中の野生種の間に生まれた(おそらく人類が掛け合わせて生まれた)種だと言われている。

・煙草(tabaco)の語源は、古いアラビア語で薬草の一種を示す”tabaq”という言葉が語源であると考えられているが、諸説ある。

・7世紀ごろのマヤ文明の遺跡に、煙草を吸うレリーフがある。最低でもこの頃には喫煙習慣があったと思われる。

ヨーロッパ人と煙草の初接触

・1492年、大航海時代にコロンブスが西インド諸島に属するバハマ諸島のサン・サルバドル島にヨーロッパ人としては初上陸。

(当時はヨーロッパ世界ではアメリカ大陸が発見されていなかった。1481年〜1495年にかけて、ポルトガルの遠洋航海事業が盛んであり、ついに1498年、バスコ=ダ=ガマ船団によりインドへの航路開拓)

当時の最新科学では地球が球体であるということはほぼ常識となっていた。(ただし民衆の間では地球を平面と考える旧来の考えも未だ根強く残っていた)マルコ・ポーロが口述した東方見聞録にある「黄金の国ジパング」に惹かれていたコロンブスは、西廻り航路でアジアに到達する計画に現実味をえる。

・1492年8月3日、スペインのパロス港を出航、10月12日早朝にバハマ諸島に上陸、サン・サルバドル島と名付けた。

大西洋は極端に島の少ない大洋であり、危険を伴う航路開拓においては船員の不安や恐怖は相当であった。106日に船内で暴動が発生し、その3日後の10月9日には船員の不安が頂点に達す。船員は「あと3日で陸地が見つからなければ引き返す」とコロンブスに約束させたという。

・サン・サルバドル島に上陸したコロンブスの船員が、葉巻を吸う原住民を目にする。
ヨーロッパ人と煙草の初接触である。

・北アメリカも南アメリカも原住民の間では、煙草は幻視、医療、儀礼、社交と文化的に広く浸透していた。
喫煙方式としては葉巻、パイプなど。非喫煙方式としては噛み煙草、嗅ぎ煙草、虫歯や傷口に汁を塗ったり、飲んだりなど。

様々な煙草の使用法に遭遇したヨーロッパ人たちは、もっとも身近に接した先住民の使用法にとりわけ馴染み、本国に持ち帰った。スペイン人は葉巻、イギリス人はパイプ。

ヨーロッパへの煙草の浸透

・ヨーロッパでの煙草の浸透には、「医療」としての面が大きい。
1560年ころ、現在にニコチンの名を残すフランスのジャン・ニコが煙草の薬効を信じ栽培、フランス宮廷に献上し、王妃の頭痛を嗅ぎ煙草で治したとされる。
権力者の承認を得た煙草は、民衆へも浸透していくこととなる。

・1571年、スペインの内科医ニコラス・モナルデスが「煙草は万能薬である」との著書を発行。
当時の正統な医療体系であった「体液説」にタバコを位置付け、ヨーロッパでの煙草の浸透に大きな影響を与えた。

タバコに対する否定的な意見もあった。依存性、火災の危険性、異教徒の文化としての排斥など。しかし当時のヨーロッパの民衆は、幻覚作用をもつ「麦角菌」に汚染された穀物を摂取していた。飢えと穏やかな幻覚体験が常態であった世界に生きる彼らにとって、精神に著しい影響を及ぼさず空腹感を軽減する煙草へと関心が移ったのは自然な流れなのかもしれない。ニコラス・モナルデスが説いた煙草の有効性は、ガン、頭痛、呼吸障害、胃痛、痛風など。1686年の記録に、「腸閉塞には瀉血(しゃけつ:血を体外へ出すこと)ののち、煙草の煙を浣腸するのが最適である」との記述あり。煙草の医療としての有効性は、20世紀に至ってもはっきりと信じられていた。

麦角中毒:麦角菌に汚染されたライ麦を摂取することで引き起こされる中毒症状。手足が燃えるような感覚、手足の壊死、幻覚、精神異常、けいれん、意識不明、流産など。591年〜1789年までの間に132回もの大流行があったとされる。魔女裁判との関連性も指摘されている。

世界への煙草の浸透

・1575年頃、スペイン人がガレオン貿易の一環としてメキシコからフィリピンに持ちこんだ。sailboat

ガレオン貿易:スペイン領のフィリピンとメキシコを結んだ大型帆船による貿易。

・1600年頃、煙草が薬効とともに日本へ伝えられる。
中国へもほぼ同時期、日本と同様フィリピン経由で持ち込まれたとされている。

・1630年代にはアフリカへも浸透したとされる。

・アメリカ先住民の複雑な文化体系としての煙草から、ヨーロッパ人は医療の面を強調して受容し、煙草の持つ依存性が他文化への浸透を保障した。

富国の為の煙草

・1604年、煙草嫌いで有名なイギリスの王、ジェイムズ一世が煙草の薬効に懐疑的な著書を発行。煙草規制の為、煙草の輸入に高い関税をかけた。しかしイギリス国内の煙草の消費は王の思惑に反して増加し、関税の増収を政府にもたらした。

・1624年、当時のイギリスで輸入される煙草はスペイン領アメリカ産のものが多く、イギリスは他国製の煙草の輸入を自国の植民地産の煙草に転換すべく、国内での煙草栽培を禁止し栽培を植民地に限定し、関税の効率的な徴収をはかった。

・さらに1705年までに「航海法体制」のもとで外国への直接の輸出を禁止し、軍事上重要な植民地産物のひとつにタバコを列挙、莫大な関税収入をもたらす。煙草の依存性は、人間だけでなく国家をも依存させた。

・イギリスのみならず、ヨーロッパ諸国も煙草による税収を大いにあてにするようになる。その中で、1620年代にイタリアにおいて国家による煙草の統制、「専売制度」が導入される。

当時の専売制度では私人に独占的経営を保障する一方、彼ら請負人から対価を徴収した。煙草がより直接的に国家管理の様相を帯びるのは18世紀末以降のこと。

煙草の大衆化

・1600年代にはイギリス国内において、砂糖や茶よりも一足先に大衆化する。

・他のヨーロッパ諸国においても1700年代半ばまでにはごく身近な消費物となった。

・大衆化した当時も(1600〜1700年代)体液説に基づいた薬効が信じられており、性別、年齢、身分による煙草利用の差異は認めにくく、女性や子供まで幅広く愛好されていた。

嗅ぎ煙草の大流行とフランス革命によるパイプ喫煙の復権

・1600年代末から1700年代初めにかけて、嗅ぎタバコの大流行が起きる。イギリスでは1680年頃から流行り始めたと言われる。1700年台に入りヨーロッパを席巻し、喫煙を凌駕する大流行を巻き起こした。

・大流行の背景に、フランスにおけるバロックからロココへと移り変わる時代風潮があった。荘厳なバロックに対して軽やかな装いのロココが一般化し、嗅ぎ煙草がこの風潮にマッチした。嗅ぎ煙草は非喫煙方式のため火が要らず、火打道具を携行する必要がなく、バロックと比較しミニマルなロココのスタイルとの親和性が高かった。rococo

・聖職者や宮廷などにおいても嗅ぎ煙草は流行し、日本における茶道のように作法が発達した。嗅いだ際のくしゃみの仕方すら作法に組み込まれ、美しい嗅ぎ煙草入れはコレクションの対象となった。

ー 深いお辞儀をし、ポケットから小ぶりな煙草入れを取り出し、品よくポンと叩き、上品に煙草を嗅ぐべし。速やかに蓋をあけ、友人に勧めるべし。

・嗅ぎ煙草全盛の時代、パイプ喫煙といえば下層の嗜む煙草であった。pipe

・フランス革命を契機として、優雅な嗅ぎタバコに変わり、民衆になじみ深いパイプ喫煙が再び支持を得ることとなる。

フランス革命(17891799):王政と旧体制の崩壊。封建的特権が撤廃された。資本主義革命とも。

紙巻煙草の登場

・1850年代後半、今日世界最大のたばこ多国籍企業フィリップ・モリス社の創始者フィリップ・モリスがロンドンにおいてクリミア戦争から帰還した兵士たちの需要に答えて紙巻タバコを製造・販売し繁盛した。

・1881年、アメリカの「タバコ王」と呼ばれたジェイムズ・ブキャナン・デュークが、それまで手作業であった紙巻煙草を機械科により大量生産をはじめる。消費市場の開拓にも取り組み、大量生産体制を開始して10年も経たないうちに、アメリカ最大の紙巻タバコメーカーへと急成長を遂げる。そして1890年、デュークが主導し紙巻タバコ社の企業合同、「アメリカン・タバコ社」設立。

・ただし当時のアメリカでは煙草全体で見れば紙巻タバコは新興市場であり、噛みタバコ、葉巻が大きなシェアを占めていた。紙巻タバコがタバコ市場で半数のシェアを占めるようになったのは、多くの国において第二次世界大戦中〜戦後にかけてである。

反煙草運動

・1901年、アメリカにおいて「全国反シガレット連盟」が組織される。全米を席巻した反煙草の波は、未成年者への煙草販売を禁止する法律が各州で制定される。

・さらに1913年までに11の州で紙巻煙草の販売を非合法化する「禁煙法」が施行された。しかし第一次世界大戦へアメリカが参戦すると大量の紙巻タバコが戦場へ送られたことにより需要が高まり、大戦後の1920年代に入ると禁煙法を撤廃する州が相次いだ。

タバコ多国籍企業の誕生と再編

・海外への進出をはかるアメリカン・タバコ社は、日本の村井兄弟商会と提携。日本上陸を果たす。イギリス側はアメリカン・タバコ社の侵攻に対し国内の主要メーカー13社が連合しインペリアル・タバコ社を設立。熾烈な戦いのすえ、それぞれが本国のタバコ市場を相互不可侵とし米英以外の世界市場開拓のため共同出資し、現在世界第二位のタバコ多国籍企業、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社(BAT)を創設。

・1907年、革新主義の当時の大統領セオドア・ルーズベルトにより、「シャーマン反トラスト法」にもとづいた企業合同の解体推進。アメリカン・タバコ社は1911年、4社に分割された。BAT社株の売却も命じられ、BATはイギリス化。

シャーマン反トラスト法:J・シャーマンの議員立法により1890年に制定された連邦レベルの独占禁止法。

そして現在へ

・1800年代後半に、一種の職業病と考えられていた肺がんは、1930年代に入るとイギリスやアメリカ、ドイツの学者らによって喫煙との関係が指摘されるようになる。

・1960年代前半には、イギリスとアメリカにおいて喫煙と肺ガンの因果関係について公式な報告書が出されるに至る。

・消費者層の健康への関心の高まりを受けて、1950年代からフィルター付きの紙巻タバコが市場に投入されるようになる。以後、両切りタバコは市場からしだいに淘汰されていく。

・1990年代に入ると、以前は健康に被害に関わる裁判において有利な判決を引き出し続けていたタバコ会社側も、個人訴訟に敗れるケースが相次ぐ。やがて州政府が原告となった裁判で、全米50州に計2,460億ドルという巨額の和解金の支払いを余儀なくされた。

・厳しい市場の変化を受け、タバコ多国籍企業間の買収・合併が激化。

世界のタバコ市場シェア

・2015年時点でのシェアは下記のとおり。

世界のタバコ市場シェア(2015年)

アジアおよびパシフィック65%

オーストラリア0%

東欧10%

ラテンアメリカ4%

中東・アフリカ7%

北米5%

西欧9%

世界のタバコ市場の半数以上をアジアおよびパシフィックが占めている。

なお世界の愛煙家の80%が中・低所得国に暮らしていると言われている。

タバコ企業別の市場シェア

1位 中国煙草総公司(中国)44.2%

2位 フィリップ・モリス(米国)14.6%

3BAT(英国)10.7%

4位 日本たばこ産業(日本)             8.9%

5位 インペリアル・ブランズ(英国)  4.7%

6位 アルトリア                              2.3%

7位 レイノルズ・アメリカン              1.9%

8ITC(インド)                          1.3%

9位 グダン・ガラム(インドネシア)    1.2%

10KT&G(韓国)                        1.2%

企業別で見ると中国の国営企業、中国煙草総公司が44%で世界シェア1位。

2位のフィリップ・モリスの3倍ものシェア。

中国煙草総公司は売上の99%を中国国内から得ており、国別のタバコ市場規模も中国が断トツの1位。

中国には世界人口746千万人の約18%にあたる1395百万人もの人が暮らしている。

以上、世界のタバコの歴史でした。

次回は「日本におけるタバコの歴史」について書きます。